字書三部作とは? わかりやすく解説

字書三部作

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 16:43 UTC 版)

字統」の記事における「字書三部作」の解説

字統』(字源辞典)・『字訓』(古語辞典)・『字通』(漢和辞典)の三書を字書三部作と称す。3冊で約4,000ページに及ぶこの三部作は、白川文字学集大成とされる石牟礼道子は、「古代中国は殷帝国甲骨文金文を、東アジア生まれた始源の文化として位置づけられ体系化され、ヨーロッパとはあきらかに異な文化位相を、現代退化しつつある東洋日本示された。お仕事頂点とされる三部作字書字統』『字訓』『字通』の完成がそれである。」と評している。 経過 高橋和巳評論集『わが解体』に次のような一節がある。 立命館大学中国学研究されるS教授研究室は、京都大学紛争の期間をほぼ等しくする立命館大学紛争全期間中、全学封鎖の際も、研究室のある建物一時的封鎖の際も、それまでと全く同様、午後11時まで煌々と電気がついていて、地味な研究励まれ続けていると聞く。(中略)その教授はもともと多弁の人ではなく、また学生たちの諸党派のどれかに共感的な人でもない。しかし、団交出席すれば一瞬雰囲気が変わるという。無言の、しかし確かに存在する学問威厳学生感じてしまうからだ。 もともと学問一筋白川は、正月三が日除き日曜含めて毎日研究室通い、朝から午後11時まで研究室こもって甲骨文金文文字資料研究していた。そして、昭和30年1955年)から「甲骨金文学論叢」をまとめ、ついで『金文通釈』、『説文新義』と、専門的な仕事続けてきた。それから、自身文字学一般読者提供するために一般書として刊行することを考え、その第一となったのが岩波新書の『漢字』(1970年)である。そして、『詩経』(1970年)、『金文世界』(1971年)、『甲骨文世界』(1972年)、『孔子伝』(1972年)、『漢字世界』(1976年)、『中国古代文学』(1976年)、『漢字百話』(1978年)など、しばらくそのような著作試みた。が、それまで字書編集する機会はなかった。 白川73歳の時、かねてより意図していた字源字書編纂(『字統』)、その和訓による国字化の過程の追迹(『字訓』)、さらには従来辞書において、なお達成されていない辞書あるべき姿模索するということ(『字通』)が、白川課題としてまだ残されていた。つまり、これら字書三部作を執筆完成することが白川宿願であった退職後、直ち執筆にかかり、1年で『字統』を書き、また1年で『字訓』を書いた。そして最後に漢字の形・音・義の関係をも統説する『字通』を書いたが、この書は分量多く種々検討要することもあって、11年半を要した白川は、「ほぼ予定した間内にこの三部作を刊了しえたことは、天佑に近いことであった念ずれば花開くというが、私も仕事をするときには、祈る気持ではじめる。この三部作も、私の保護霊が見守ってくれていた結果であるかも知れない。」と語っているが、その言葉白川没後長女津崎史がまとめた『桂東雑記』(けいとうざっき)の5冊目の「字書三部作について」に綴られている。 字源からの展開 字源の書である『字統』を最初に作った理由について、「字源が見えるならば、漢字の世界が見えてくるはずである。従来、黒いかたまりのように見られていた漢字の一字一字が、本来の生気を得て蘇ってくるであろう。漢字は記号の世界から、象徴の世界にもどって、その生新な息吹きを回復するであろう。」と述べている。また、「字源の学は、字源の学だけに終わるものではない。原初の文字には原初の観念が含まれている。神話的な思惟をも含めて、はじめて生まれた文字の形象は、古代的な思惟そのものである。」といい、例として、「風」の多義性がその古代的な思惟からの展開によるものと説いている。 風は、もと鳳の形に書かれ、鳥形の神であった。四方にそれぞれ方域を司る方神が居り、その方神の神意を承けて、これをその地域の風行し伝達するものが鳳、すなわち風神であった。風土・風俗のように一般的なものより、人の風貌・風気に至るまで、すべてはこの方神の使者たる風神のなるところであった。風の多義性は、風という字が成立した当時の、風のもつ古代的な観念に内包するものとして、そこから展開してくる。 そして、このことは原初に成立した文字の多くについて、いうことができるという。 『字統』から『字訓』へ 当用漢字表の施行によって漢字はその字形や用義法の上著し制約加えられ国語危機的な状況にあったこのような中で白川所見述べておく必要を感じ、『漢字』を刊行した。『字統』はそのような作業一つ収束をなすものであった。その『字統』において、漢字字形構造が明らかとなるならば、次に国字として、字の訓義用法に及ばなければならない。これによって『字統』において試みたところがはじめて意味をもちうることになろうと白川はいう。そして、『字統』の刊行つづいて世に送ったその『字訓』は、白川意図する東アジア的な古代の中で日本古代考えようとする、基本的な志向のうちか生まれたものであり、その一つ収束である。 まえがき 三部作巻頭には長文まえがきの「字統編集について」「字訓編集について」「字通編集について」がある。字書には異例ともいえるこの長文まえがきには、各書編集意図その方法とについて記されているが、これは大槻文彦の『言海』に類似する。 「字書を作るということが私にとって一の宿命であったかも知れない。その最初機縁となったものは、『言海であった。」と白川はいう。白川書物読み始めたころ、古語辞典の類を求めたい思い、まず『言海』を求めた白川は『言海』について、「このわが国最初古語辞典は、大槻氏が自ら親炙していた欧米辞書の編纂法を範とし、ヨーロッパ辞書編纂事業触発され行われたということが、私には一つ驚きであった。(趣意)」との感想述べている。その『言海』の巻頭には長文の「本書編纂大意」という序文があり、その書の編集目的と方法とが記されている。

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