甲骨金文学論叢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 16:43 UTC 版)
「甲骨金文学論叢」(こうこつきんぶんがくろんそう、1955年 - 1962年)は、白川文字学の体系を築いた実証的論文集で、20篇の論文からなり、後の『説文新義』や字書三部作の土台となった。昭和30年(1955年)より昭和33年(1958年)までの間に9集を発行し、昭和37年(1962年)に10集とした。 1集…「釈史」、「釈文」 2集…「作冊考」、「召方考」 3集…「釈師」 4集…「載書関係字説」 5集…「殷代雄族考」 6集…「殷代雄族考」 7集…「殷代雄族考」、「媚蠱(びこ)関係学説」 8集…「殷代雄族考」、「辠辜(ざいこ)関係学説」 9集…「羌(きょう)族考」 10集…「釈南」、「蔑(べつ)暦解」 白川は、これらの論考を草するために卜文の体系的な理解が必要であるとし、3万片に近い卜片を手写し、その解読に努めた。本書の内容は字源論と殷代雄族(部族)論とに大別でき、字源論には、「釈史」、「釈文」、「作冊考」、「釈師」、「釈南」、「蔑暦解」があり、雄族論には、「召方考」、「殷代雄族考 1 - 7」、「羌族考」がある。その他に系列字関係の字説として、「載書関係字説」、「媚蠱関係学説」、「辠辜関係学説」がある。 釈史は、「史」字の起原を追求する趣旨で書かれ、「」(さい)字形がとりあげられ、祝告器とする説が提出された。「史」は祝告を示すを神桿に著けて、これを手に捧げる形である。 釈文は、「文」字が身体装飾としての文身を示す字であること、そのような文身の風は太平洋圏に広く分布しており、中国の古代文字に文身関係の字(彦(彥)・顔(顏)・爽・爾など)が多くみられることなどを論じている。
※この「甲骨金文学論叢」の解説は、「字統」の解説の一部です。
「甲骨金文学論叢」を含む「字統」の記事については、「字統」の概要を参照ください。
- 甲骨金文学論叢のページへのリンク