甲骨文・金文との出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 16:43 UTC 版)
そこへ日本に亡命中の郭沫若が、昭和8年(1933年)に『卜辞通纂』(ぼくじつうさん)、昭和10年(1935年)に『両周金文辞大系考釈』(りょうしゅうきんぶんじたいけいこうしゃく)を刊行した。白川は、「この両書の出現は、私にとって大きな驚きであり、また喜びであった。この未知の資料が、やがて私に新しい模索の道を与えてくれるであろうという予感が、私を勇気づけた。」との感想を述べている。卜辞とは甲骨文のことで、金文よりも古く、古代王朝形成期のものであり、清朝の学者も参照していない最古の漢字の字形を示す資料である。清朝考証学を学びならがも新たな方法論を探って甲骨文・金文に出会ったのである。早速白川の研究は殷周時代に遡ることになったが、「郭氏の考釈はなお簡略であり、その十分な解読と研究には、容易ならぬものがあるように思われた。」と、白川は郭の研究に満足せず、こうして以後50年間の文字との縁が生まれたのである。
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