国民からの敬愛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 21:11 UTC 版)
「王室プロジェクト」と呼ばれる農業を始めとする地方経済の活性化プログラムを自ら指導する他、自ら土地改革運動のために王室の所有地を提供したり、農村開発や旱魃対策の人工雨等の各種王室プロジェクトを推進している。また、王妃と共に地方視察も非常に精力的に行い、泥濘や雨天の中でも人々の輪の中に積極的に入っていくなど国民に近い立場を取り続けることから、確実にタイ国民の尊敬と信頼を勝ち得た。実際に、毎年誕生日前になると全国各地に肖像画が飾られ、国王の色とされる黄色いシャツを着用した市民で埋め尽くされるほどである。また、高齢による病気で入院すると病院の周りには健康と長寿を意味する色であるピンク色の服を着た人々があつまり、国王の病気平癒を祈り続けた。そして2016年10月13日に崩御した翌日には黒い服を自発的に着用する多数の国民の姿がバンコク都内で見られた。 治世の間は既項国王時代にある通り動静は変遷している。即位から1960年代前半期までの期間、国民の上に立つ象徴として若年期については、サリット独裁政権は悪化した治安改善に強権発動と同時に王室を崇めるキャンペーンを進め、そこには朝鮮戦争以降の世界情勢から共産主義対抗の政治利用が進められたことも影響しているという意見のある一方、1970年代以降市民集団を伴うクーデターでは表に立って行動し軍事内閣と市民運動の仲裁している。このうち、1973年10月14日のタノーム(Thanom Kittikachorn)政権へ民主化を求めた学生決起の介入(血の日曜日事件、タノーム政権崩壊)、1976年10月6日の血の水曜日事件(またはタンマサート大学虐殺事件 Thammasat University massacre)の動向、「暗黒の5月事件」など、事件の背景要素や過程が詳らかではない問題点が多く当時の世界情勢を鑑みた検証作業にゆだねられる。定期的な公式の談話や発言も数多く、非常時のプノンペン・タイ大使館焼き討ち事件のほか、平時に於いては政治や経済の言及はほぼ無く国民に向けては時節や生活について触れ、治安面では一例で1970年代前半加熱する学生運動の呼びかけた「贅沢品不買運動」、「日本製品不買運動」などが煽動的過激な展開を見せた際には「デモ運動に用いるハンドスピーカーは日本製、警備にあたるパトカーは日本車。(略記)」と、現実を指摘して運動の矛盾と学生の行き過ぎた主張と行動を窘める発言を残している。即位から人格への批判言及は皆無に等しく、政府の王室関係への言論統制を考慮しても、清廉な人柄と様々な功績が評価され国民の自発的な尊敬を集めている事実は揺るぎない。その人物像についてタイ国民への世論調査、「暗黒の5月事件」政変の際に当事者と引見し、憂慮の様子が報道されるなどして、国内外から高く賞賛されている。 広くタイ国民からの敬愛を受け続けているが、反王制派思想(君主制廃止論)やアジア人に対する侮蔑的感情を持つ外国人等による批判を受けることもあり、たとえ自国民でなくても不敬罪を以って処される。2007年に国王のポスターに黒ペンキを塗布したスイス人男性には禁固10年(最高刑は75年)、著書で王室を批判したオーストラリア人男性が2009年1月に懲役3年の実刑判決を受けたケースがある。また海外で出版された書籍の執筆者がタイ国内に長期滞在していたために不敬罪に問われたケースもある。しかしながら諸外国の政府や国民からの評価は高く、NHK『ラジオ深夜便』の海外レポートコーナーなどで紹介する際も、「(タイ国民が)敬愛するプミポン国王」という表現が使われることが多い。
※この「国民からの敬愛」の解説は、「ラーマ9世」の解説の一部です。
「国民からの敬愛」を含む「ラーマ9世」の記事については、「ラーマ9世」の概要を参照ください。
- 国民からの敬愛のページへのリンク