十三の界位と過去十三仏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 14:29 UTC 版)
「ゾクチェン」の記事における「十三の界位と過去十三仏」の解説
ニンマ派においては、ゾクチェンは十三の界位〔世界・浄土〕において説かれ、いまも説かれているとされる。原初仏である法身普賢(クントゥサンポ)は、円満なる密厳浄土の法界において自性の顕現として五智の変化の光を常に放ち、ゾクチェンの教えをあるがままに説いている。その五色の虹の光は報身の諸菩薩に届き、五種姓(仏部・金剛部・宝部・蓮華部・羯磨部)の個々の曼荼羅を現出した。やがて、その虹の光は娑婆世界(この世の世界)へと到達して、一切衆生を六道輪廻の苦しみから解放するために、法身普賢は報身の金剛手菩薩(ヴァジュラ・パーニ)となって菩薩の世界や娑婆世界へと降臨し、化身である様々な仏陀(ブッダ:覚者)の姿をとってゾクチェンの教えを説いた。その数は13とされ、13の界位のうち、1から12番目までを「勝者(ジナ:如来)による心の伝承」、13番目のみを「持明者による象徴(灌頂)の伝承」、14番目以降に当たるガラプ・ドルジェからは「化身による口頭伝授」という。その十三の界位と、そこにおける説法者の如来の名前と、その時の人類の寿命は以下のようになる。 菩薩の十地である「歓喜地」において、「無限幼児」如来の姿で教えを説いた。この時、人類の寿命はいまだ無限であった。 原初の「娑婆世界」において、「幼児不動」如来の姿で教えを説いた。この時、人類の寿命は1000万歳であった。 「湿度光輝蘊」において、「文殊救難」如来の姿で教えを説いた。この時、人類の寿命は10万歳であった。 「貪欲源在胎」において、「青年常歓楽」如来の姿で教えを説いた。この時、人類の寿命は8万歳であった。 「青年薬物花園」において、「六倶金剛持」如来の姿で教えを説いた。この時、人類の寿命は7万歳であった。 「大密神変火焔墳墓」において、「大青年勇士力」如来の姿で教えを説いた。この時、人類の寿命は6万歳であった。 「羅刹倶茹哩声」において、「仙人憤怒王」如来の姿で教えを説いた。この時、人類の寿命は1万歳であった。 「霊鷲山」の王舎城において、「阿羅漢金光聖」如来の姿で教えを説いた。この時、人類の寿命は5000歳であった。 「菩提樹勝利屋」において、「悲心神変智慧」如来の姿で教えを説いた。この時、人類の寿命は1000歳であった。 「霊鷲堆」において、「光佑」如来の姿で教えを説いた。この時、人類の寿命は500歳であった。 「金剛座菩提源」において、「円満王」如来の姿で教えを説いた。この時、人類の寿命は300歳であった。 「円満孤独園」において、「釈迦牟尼」如来の姿で教えを説いた。この時、人類の寿命は100歳であった。 釈迦滅後の無仏の時代「作明日山」において、「金剛手菩薩」が姿を現しガラプ・ドルジェに対して灌頂のみによってゾクチェンの教えの全てを伝えた。この時、世界は末法の世であるために人類の寿命は50歳であった。 初期仏教においては、『本生経』(ジャータカ)に釈迦の「前世物語」を説き、大乗仏教においては「過去七仏」を説いたように、金剛乗のゾクチェンにおいてはガラプ・ドルジェを第二の仏陀として「過去十三仏」を説く。それらはすべて法身普賢(クントゥサンポ)の化身であると同時に、釈迦の生涯を描いた『ブッダチャリタ』の物語になぞらえており、さらには『大幻化網タントラ』の先行経典や当時流行していた密教経典に説く如来と浄土を採用している。これにより、先行経典の世界観をゾクチェンの教えに取り込むとともに、小乗仏教(声聞・縁覚乗)や大乗仏教に対するゾクチェンの優位性を主張しているのが、この「十三の界位でゾクチェンが説かれた」という教義である。この教義をさらに詳しく説明したものには、それぞれの如来の時代に説かれたとする大乗経典や、密教経典、タントラ経典の名前や教えも挙げられているので、それらの文献研究が行なわれることによって、今後はゾクチェンの成立年代が解明される可能性のある重要な教義とも言える。 いわゆる9世紀頃のインド人やチベット人は、かつての日本人と同様に諸仏・諸菩薩や神々が人間と同じように生活していると考えていたため、今でもチベット僧たちはこれらの如来がゾクチェンの教えを説き、太古の時代には寿命が10万歳や1000歳の人間がいたと信じている。しかしながらここでいう年齢には意味はなく、無限歳から50歳まで末法(まっぽう)の時代に近くなると人類の寿命も短くなり、苦しみが増えるということを、この教義は主張している。界位の梵語はダートゥ (dhātu) 、仏教語では「駄都・界」と訳し、意味は性質や原因・種族を表す言葉で、用法としては界会(かいえ)や界外(かいげ)、三界(さんがい)等がある。ゾクチェンでは、この「界位」以外に「説時」とする場合もあるが意味するところは本来変わらない。
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