前身会社時代とは? わかりやすく解説

前身会社時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 05:33 UTC 版)

東海ラジオ放送」の記事における「前身会社時代」の解説

近畿東海放送」および「ラジオ東海」も参照 1953年昭和28年10月15日 - 株式会社ラジオ三重(RMC)設立1954年昭和29年11月18日 - (旧)岐阜放送株式会社(GHK)設立1956年昭和31年10月1日 - (旧)岐阜放送株式会社商号株式会社ラジオ東海(RTC)に変更12月10日 - 株式会社ラジオ三重商号近畿東海放送株式会社(KTB)に変更1958年昭和33年2月1日 - 近畿東海放送株式会社株式会社ラジオ東海合弁新東海テレビ放送株式会社(現 東海テレビ放送)を設立1959年昭和34年2月18日 - 近畿東海放送株式会社及び株式会社ラジオ東海共同名古屋市に新ラジオ局免許申請6月1日 - 郵政省当時)、現行のラジオ2放送局廃止することを条件に新局の設置認可6月8日 - 郵政省意向を受け、近畿東海放送ラジオ東海両社が緊急役員会開き両社合併決議し合併契約書調印する9月26日 - 名古屋局の予備免許取得

※この「前身会社時代」の解説は、「東海ラジオ放送」の解説の一部です。
「前身会社時代」を含む「東海ラジオ放送」の記事については、「東海ラジオ放送」の概要を参照ください。


前身会社時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 15:26 UTC 版)

能州電気」の記事における「前身会社時代」の解説

1910年明治43年12月能登半島最初電気事業者として鹿島郡七尾町(現・七尾市)にて七尾電気(後の能登電気能州電気とは無関係)が開業した次いで半島北部鳳至郡輪島町(現・輪島市)においても1912年明治45年3月輪島電気開業する。 後の能州電気関係するところでは、鹿島郡中島村人物代表者として、1911年明治44年11月15日端村和倉和倉電気が、翌1912年2月2日中島村中島電灯それぞれ設立された。そして1912年大正元年9月23日中島電灯同年10月30日和倉電気の順で開業に至る。供給区域は、中島電灯中島村と隣の熊木村一部和倉電気端村和倉のみ、といずれも小規模事業であった。また電源は、ガス発生装置燃料不完全燃焼させて燃料ガス発生させる)と燃料ガス吸入して作動するガス機関組み合わせた吸入式ガス発動機利用し小型直流発電機を動かすという仕組みの、小規模な火力発電所それぞれ構えていた。 続いて1914年大正3年7月26日小松電気能登支社同種の吸入式ガス機関三相交流発電機組み合わせた火力発電所電源として開業した支社所在地半島先端部の珠洲郡木郎村(現・鳳珠郡能登町)。小松電気社名通り小松市電力会社であるが、小松以外にも複数支社構えて事業行っていた。供給区域鳳至郡宇出津町から木郎村経て蛸島村(現・珠洲市)に至る範囲海岸線沿い計9町村である。 1915年大正4年12月30日鳳至郡穴水町穴水水力電気設立され1917年大正6年9月4日能登半島初めての水力発電事業者として開業した地元菓子店女婿であった名古屋電気技術者設計にあたって山王川出力31キロワットという小発電所建設されたが、水路建設経験不足のため設計通り出力出ず火力発電設備で補わざるを得なかったという。また羽咋郡富来村(現・志賀町)では、近隣電気事業刺激され乗合自動車営業していた礒又三郎らにより1917年2月26日来電気が設立された。同社7月5日吸入式ガス発動機による火力発電所電源として開業した。この2社の供給区域は、穴水水力電気穴水町中居村南北村、富来電気が富来町周辺10であった

※この「前身会社時代」の解説は、「能州電気」の解説の一部です。
「前身会社時代」を含む「能州電気」の記事については、「能州電気」の概要を参照ください。


前身会社時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 15:26 UTC 版)

能登電気」の記事における「前身会社時代」の解説

能登半島最初電気事業者は、鹿島郡七尾町(現・七尾市)にて1910年明治43年)に開業した七尾電気株会社である。同社地元津田一郎湯川温之らによって1909年明治42年3月発起され、1910年3月創立総会開かれ発足した株式募集に際して大阪市実業家才賀藤吉がその多く出資したことから才賀が社長に推され地元からは湯川専務取締役就いた開業1910年12月5日七尾電気当初燃料不完全燃焼させて燃料ガス発生させるガス発生装置と、その燃料ガス吸入して作動するガス機関組み合わせた吸入式ガス発動機原動機とする、小規模な火力発電所電源としていた。しかし故障多発するため、七尾港にあった硫酸肥料工場交渉し1912年明治45年)より工場構内発電所移設した。移設後の設備ボイラー蒸気機関出力75キロワット三相交流発電機である。同年6月からは西湊村石崎村端村田鶴浜村にも供給区域拡大した七尾電気続き能登半島では鳳至郡輪島町(現・輪島市)で1912年3月12日輪島電気株会社開業した同社名古屋市電気工事業者が地元有志勧誘して1911年明治44年4月設立吸入式ガス発動機原動機とする出力75キロワット発電所電源とした。小火発電ではあるが、1912年10月から電灯供給加え動力用電力供給開始した電力供給先の多くは、地場産業輪島塗木地業者であった1912年下期以降は、後に能登電気ではなく能州電気統合される中島電灯和倉電気なども開業する能登電気関係するところでは、1914年大正3年5月羽咋郡羽咋町(現・羽咋市)にて地元資本羽咋電気設立され、翌1915年大正4年6月13日石動電気からの受電元に開業した次いで1916年大正5年1月羽咋郡志雄村(現・宝達志水町)で志雄電気設立され同年10月14日、これも石動電気からの受電により開業した。さらに1918年大正7年8月羽咋郡高浜町(現・志賀町)で高浜電気設立され、翌1919年大正8年4月15日開業している。 一方七尾電気では、1916年地元七尾実業家爪譲太郎が才賀系の松阪水力電気から持株買い取り新たに社長となった爪は輪島電気専務として経営にあたる新田與一引き抜き七尾電気専務としている。翌1917年大正6年1月金沢市金沢電気瓦斯との間で受電契約締結する。この受電転換により供給力75キロワットから400キロワットへと大幅に拡大した。また石動電気交渉し同社との競願となっていた供給区域七尾電気獲得する代わりに七尾電気増資新株半額石動電気割り当てることになった

※この「前身会社時代」の解説は、「能登電気」の解説の一部です。
「前身会社時代」を含む「能登電気」の記事については、「能登電気」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「前身会社時代」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


このページでは「ウィキペディア小見出し辞書」から前身会社時代を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から前身会社時代を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から前身会社時代を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「前身会社時代」の関連用語

前身会社時代のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



前身会社時代のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの東海ラジオ放送 (改訂履歴)、能州電気 (改訂履歴)、能登電気 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS