列福と列聖
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/28 16:17 UTC 版)
「イエジ・ポピエウシュコ」の記事における「列福と列聖」の解説
ローマ・カトリック教会は、1996年3月15日にNihil obstat(英語版)の宣言(反対なし。任命に対する異議がないことの宣言)でポピエウシュコの列福の手続きを開始し、1997年2月8日から2001年2月8日まで監督管区の手続きを開催した。これによって神のしもべ(英語版)の称号を授与された。2008年にPositio(英語版)が列聖省に提出された、そして、2009年12月19日、教皇ベネディクト16世がポピエウシュコの列福のための法令を承認したと発表された。 ポピエウシュコは2010年6月6日にワルシャワのピウスツキ広場(英語版)でアンジェロ・アマート枢機卿によって列福された。母親のマリアンナ・ポピエウシュコ(ポーランド語版)がこの式典に出席した。ポーランドの首都ワルシャワの野外集会には、10万人を超える人々がイエジ・ポピエウシュコを崇敬するために出席した。ポーランド郵便局(英語版)はその同じ日に一連の切手を発行してその列福を表した。 2013年10月、ポピエウシュコが殺害された教区であるワルシャワの大司教であるカジミェシュ・ニクズ(英語版)枢機卿は、フランスでポーランドの司祭の取り次ぎによる奇跡が特定され、確認されたことを発表した。したがって、ニクズ枢機卿は、提示された事例の信頼性に基づいて近いうちに列聖される可能性が高いと予測している。 2014年9月20日から2015年9月14日までの間、フランスの監督管区の手続きで奇跡が調査され、その調査の結果の審査ためバチカンに提出された。
※この「列福と列聖」の解説は、「イエジ・ポピエウシュコ」の解説の一部です。
「列福と列聖」を含む「イエジ・ポピエウシュコ」の記事については、「イエジ・ポピエウシュコ」の概要を参照ください。
列福と列聖
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/04 14:17 UTC 版)
「アンナ・シェーファー」の記事における「列福と列聖」の解説
シェーファーの死後、彼女の墓標の前で祈ると、その祈りが聞き届けられると人々の間で言われるようになり、1929年以降15000人以上の人々が彼女の墓標を訪れた。1973年には、シェーファーをカトリック教会の福者にするための列福申請がなされた。この時20,000以上の文書と証言が彼女の列福の詳細な調査のために集められた。彼女を福者として申請する時の調査には、1929年以来、15,000以上もの奇蹟が彼女への取り成しの祈りにより起こったものであると報告された。1998年には、ミンデルシュテッテンの教区において、551の奇蹟が彼女への取り成しによって起こったものだとされる。1999年3月7日、シェーファーは教皇ヨハネ・パウロ2世によって列福された。この列福式において、聖ヨハネ・パウロ2世は、シェーファーの生涯の中には、聖パウロがローマ人へ書き送った手紙の内容が読み取れるとして、次の聖書の一節を引用した。『希望は失望に終ることはない。なぜなら、私たちに賜わっている聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからである。(ローマ人への手紙5章5節)』そして、シェーファーは確かに自己を神の意思に委ねる努力をしたとは言えないが、彼女は成長し、神が弱さと苦しみの上に福音を書き綴るということを、正しく理解したと述べた。 さらに列聖調査が進み、2012年10月21日に、シェーファーは教皇ベネディクト16世によって、カトリック教会の聖人に列せられた。ベネディクト16世はシェーファーの列聖式で、シェーファーの助言を求める人々にとって彼女が仲裁者として神の愛を示したとした。またベネディクト16世はシェーファーの祈りと苦しみが彼女の祖国であるドイツの信徒にとって手本となることと、彼女が天国で人々の祈りを神に取り成すことで信者によるホスピスの活動が活発化することを祈願した。
※この「列福と列聖」の解説は、「アンナ・シェーファー」の解説の一部です。
「列福と列聖」を含む「アンナ・シェーファー」の記事については、「アンナ・シェーファー」の概要を参照ください。
列福と列聖
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 01:45 UTC 版)
1995年6月4日、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世によって列福された。カトリック教会において、ハンセン病患者、HIV感染者およびハワイの守護者とされている。 2009年10月11日に聖人に列されることが、2009年2月16日にローマ教皇ベネディクト16世から発表された。ハワイ州出身のバラク・オバマ大統領もダミアンの列聖を祝福するコメントを発表した。列聖の理由は以下の2つの奇蹟である。 1895年に1人の修道女(重い腸の病気に罹っていた)が、ダミアンのインターセッションにより症状を治した事象 ダミアンの墓の前で祈ったオードリー・トグチのリポザルコーマを治した事象 2009年10月11日、列聖はバチカンのサン・ピエトロ広場で行われた。ベルギーのアルベール2世国王夫妻および首相・閣僚・政党党首など4000人近いベルギー市民、ハワイから数百名の巡礼団を始め、日本人のカトリック信者数百名など、数万人の巡礼者が参加した。
※この「列福と列聖」の解説は、「ダミアン神父」の解説の一部です。
「列福と列聖」を含む「ダミアン神父」の記事については、「ダミアン神父」の概要を参照ください。
列福と列聖
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 08:35 UTC 版)
ロレンソの列福理由(Positio Super Introductione Causae)は、スペインの歴史家フィデル・ビジャロエル(英語版)によって執筆された。ロレンソの殉教を示す中心的な文書は、2人のイエズス会の日本人元神父による目撃証言だった。その資料は、ビジャロエルがローマのイエズス会総合資料館で再発見した。ロレンソはドミニコ会会員だったため、そのような場所にロレンソに関する資料があるとは考えられなかった。 ロレンソは、同時期に長崎で殉教したドミニコ会関係者らとともに、「聖トマス西と15殉教者」として1981年にローマ教皇ヨハネ・パウロ2世によってマニラで列福された。バチカン以外で行われた列福式は史上初だった。1987年10月18日、バチカンで同教皇により「日本の16殉教者」として列聖され、フィリピン人初の聖人となった。 1983年10月に脳萎縮症(水頭症)の2歳の子供が、家族や支援者がロレンソに執り成しを求めて祈ったことで病気が治ったことが、列聖の根拠となる奇跡とされた。
※この「列福と列聖」の解説は、「ロレンソ・ルイス」の解説の一部です。
「列福と列聖」を含む「ロレンソ・ルイス」の記事については、「ロレンソ・ルイス」の概要を参照ください。
- 列福と列聖のページへのリンク