列福までの経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/18 16:05 UTC 版)
「アンナ・カタリナ・エンメリック」の記事における「列福までの経緯」の解説
エンメリックの死後、ブレンターノがまとめた書籍は当時のカトリックの間で人気を博し、地域を超えて拡大した。これを受けてウェストファリア教区は1892年にエンメリックの列福について調査を開始したものの、当時の反ユダヤ的なモチーフの反映と強調、それが来た由来が明確でないことから、1928年にバチカンはエンメリックの列福についての調査を凍結した。その後1973年3月にドイツの司教たちの連名によるエンメリックの伝記、エンメリックの教会における重要性と意義、歴史的背景を含めた嘆願書が教皇に提出された。教皇パウロ6世により反ユダヤ的モチーフに関する問題はエンメリックの列福に直接影響するものではないとして調査への許可が下り、2004年10月3日に教皇ヨハネ・パウロ2世によってエンメリックは列福された。
※この「列福までの経緯」の解説は、「アンナ・カタリナ・エンメリック」の解説の一部です。
「列福までの経緯」を含む「アンナ・カタリナ・エンメリック」の記事については、「アンナ・カタリナ・エンメリック」の概要を参照ください。
- 列福までの経緯のページへのリンク