付会と俗信とは? わかりやすく解説

付会と俗信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/01 05:02 UTC 版)

天狗」の記事における「付会と俗信」の解説

空海円珍などにより密教日本伝えられると、後にこれが胎蔵界曼荼羅配置される星辰星宿信仰付会(ふかい)され、また奈良時代から役小角より行われていた山岳信仰とも相まっていった。山伏名利を得んとする傲慢我見の強い者として、死後転生し魔界一種として天狗道が、一部想定され解釈された。一方民間では、平地民が山地異界として畏怖し、そこで起き怪異現象天狗仕業呼んだここから天狗山の神見なす傾向生まれ各種天狗の像を目して狗賓山人山の神などと称する地域が現在でも存在する。 したがって今日一般的に伝えられる、鼻が高く長く赤ら顔山伏装束に身を包み一本歯高下駄を履き、羽団扇持って自在に空を飛び悪巧みをするといった性質は、中世以降解釈されるようになったのである事実当時天狗形状姿は一定せず多く僧侶形で、時として童子姿や鬼形をとることもあった。また、空中飛翔することから、イメージ捉えられることも多かった。さらに驕慢な尼の転生した者を「尼天狗」と呼称することもあった。平安末期成立『今昔物語集』には、空を駆け、人に憑く」と呼ばれる魔物や、顔は天狗、体は人間で、一対の羽を持つ魔物など、これらの天狗説話多く記載された。これは永仁4年1296年)に『天狗草紙(七天狗絵)』として描写された。ここには当時興福寺東大寺延暦寺園城寺東寺仁和寺醍醐寺といった7大寺僧侶堕落した姿相が風刺として描かれている。これら天狗容姿は、室町時代成立したとされる御伽草子天狗の内裏』の、鞍馬寺護法魔王尊あるいは鞍馬天狗などが大きな影響与えていると思われる『平家物語』では、「人にて人ならず、にてならず、にてならず、足手は人、かしらは左右に羽根はえ、飛び歩くもの」とあり、鎌倉時代になると、『是害坊絵巻』(曼殊院)を始めとする書物に、天台の僧に戦い挑み無残に敗退する天狗物語伝えられるうになるまた、林羅山の『神社考』「天狗論」、また平田篤胤の『古今妖魅考』に、京都市上京区存在する白峯神宮」の祭神である金色化した讃岐院崇徳上皇)、長い翼を持つ沙門となった後鳥羽上皇龍車駆る後醍醐天皇ら、『太平記』登場する御霊天狗として紹介される『吾妻鏡』天福2年1234年3月10日条の記述には、「2月頃、南都奈良)に天狗怪が現れ一夜中にして、人家千軒に字を書く(「未来不」の三字伝えられる)」と記述されている。『吾妻鏡』では、彗星に関する記述多く記載されているが、この天狗記述13世紀中頃に関しては、彗星ではなく別の怪異(けい)と認識していたことが分かる外観について記述はないが、字を書けということは分かる内容である(一夜にして千軒の家に字を書くことが、人ではなく天狗所業捉えられた)。 天狗は、慢心権化とされ、鼻が高いのはその象徴とも考えられるこれから転じて天狗になると言えば自慢高じている様を表す。彼等総じて教えたがり魔である。中世には、仏教六道のほかに天狗道があり、仏道学んでいるため地獄に堕ちず、邪法を扱うため極楽にも行けない無間地獄想定解釈された。 江戸時代にはメガロドンの歯の化石が「天狗の爪」と信じられていた。

※この「付会と俗信」の解説は、「天狗」の解説の一部です。
「付会と俗信」を含む「天狗」の記事については、「天狗」の概要を参照ください。

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