事件の長期化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/21 07:03 UTC 版)
「インディアン航空814便ハイジャック事件」の記事における「事件の長期化」の解説
26日午前9時、国連のデムル人道問題担当調整官が現地に入り、犯人側は同日「国連への善意の印」としてインド人の人質1人を解放した。 国連は26日、インド政府の要請を受け、デムル調整官らパキスタンに駐在する国連職員3人を派遣した。ターリバーン政権とも会談を行ったが、国連のエクハード報道官は「犯人と直接交渉する意思はない」と述べた。またターリバーン政権側は犯人の政治亡命を拒否した。 27日、犯人グループはインド政府が同国内で服役中のイスラム過激派メンバーらの釈放に応じない場合は人質を殺害すると警告した。これに対し、インド政府は犯人側との直接交渉に応じる意向を表明した。 同日午後6時半、インド政府交渉団が特別機でカンダハールに到着した。犯人側は要求受け入れ期限を同日午後1時に設定していたが、インド政府が交渉に応じる姿勢を見せたため、最後通告をいったん取り下げたという。 ターリバーン政権は「犯人が人質に危害を加えれば突入する」と警告した。ムタワッキル外相は「ハイジャック犯が管制塔に2人の人質の手足を縛り、殺すと伝えてきた」と述べた。ターリバーンの武装兵士が814便を包囲したとの情報も流れた。 国連のデムル調整官は「人質の健康状態は悪化しており、814便の機長は国際社会が何らかの対応を取るよう訴えている」と述べた。 インドのマンモハン・シン外相は「乗客乗員の安全とインドの国益を共に重視する」と述べ、人質の解放を最優先する一方、犯人が要求するパキスタンとの係争中のカシミール問題での妥協は難しいとの考えを示した。 インド政府交渉団と犯人側は27日夜から計2回、2時間の直接交渉を行ったが、進展は見られなかった。28日は無線を通じて交渉を続けた。 28日、会見したシン外相は犯人側に子供たちとその母親を解放するよう求めたが拒否されたと伝えた。交渉団はこの日、「犯人が名前も顔も知られていない人間なので(解決には)時間がかかる」と述べ、シン外相は「人質の安全上、解放の戦略は言えない」とした。 814便のエンジンが止まったため、機内の気温低下や衛生状態の悪化が懸念された。カンダハールは夜間の気温が零度まで下がり、空港では国際赤十字委員会が医師や救急車を待機させ、ターリバーン政権軍の兵士が水や薬を機内に運んだ。 28日、犯人側はインドで服役するカシミール独立運動の関係者ら36人の釈放と身代金2億ドルを要求した。国連のデムル調整官は「乗っ取り犯は次第に苛立ちを募らせており、交渉の行方次第で人質を殺し始める可能性がある」と懸念を示した。 インド政府交渉団とともに現地入りした医師は、日本人女性1人を含む人質160人は丸4日以上、目隠しをされたり、席から立てないなどストレスにさらされており、精神的にパニックになる可能性があると警告した。調整官によると、人質に与えられる食事は米と豆類だけであり、27日はそれも与えられなかったという。 29日、交渉団と犯人側の4回目の交渉が行なわれ、インド政府からの要求への回答が伝えられた。インド政府は「人質の安全」とともに最大の領土問題であるカシミール問題で譲歩しないとの「国益」を両立させる考えを表明しており、回答の内容については明らかにされなかった。 インド政府は30日、犯人側が要求していたイスラム過激派3人の釈放に応じた。31日、インド政府の特別機で釈放犯がカンダハールに到着し、これに応じて犯人グループは人質全員を解放するとともにターリバーン政権が用意した四輪駆動車で現場から走り去った。 ターリバーン政権は犯人グループの亡命を認めず、10時間以内の国外退去を求めた。アメリカ中央情報局(CIA)はハイジャック犯らが隣国パキスタンに入国したことを確認した。 インドのジョージ・フェルナンデス国防相は「パキスタンがハイジャック事件に関与していた証拠がある」と述べ、パキスタンを激しく非難したが、パキスタンの当局者は「インド政府がハイジャック犯に関する情報を教えないため、国境で犯人を捕まえることができなかった」と反論している。
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事件の長期化
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「コロンビア邦人副社長誘拐事件」の記事における「事件の長期化」の解説
副社長の消息は4月下旬にボゴタ南部フニン付近で目撃されたのを最後に途絶え、副社長の安否や健康状態など詳しい情報が入らないまま事件は長期化した。 2002年3月、副社長の家族が地元紙に副社長の早期解放を呼び掛ける記事を掲載した。 2002年5月20日、コロンビア大統領府治安局(DAS)はボゴタ郊外で副社長の誘拐に関与した誘拐団「ロス・カルボス(禿頭)」のメンバーらを逮捕した。後の裁判で主犯格には懲役40年、共犯には16年から32年の刑が宣告された。 2002年7月、コロンビア中部の山岳地帯で発見された白骨遺体が副社長ではないかとの情報が流れ、在コロンビア日本大使館員が向かったが確認できなかった。 2003年8月、FARCに誘拐され解放されたコロンビア人男性が、地元ラジオ局のインタビューで同国南部メタ県の人質収容施設で副社長を目撃したと証言した。 同年10月30日、コロンビア軍第5師団はボゴタ北部トパイピーでFARC西方軍司令官マルコ・アウレリオ・ブエンディアを殺害した。ブエンディアは「副社長を丁重に扱え」というFARC最高幹部ホルヘ・ブリセニョ・スアレス(英語版)(通称モノ・ホホイ)からの指令書を携行していた。これにより副社長の生存が確認された。
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