事件の露見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 00:13 UTC 版)
シーボルトらが1826年7月に江戸参府から出島に帰還し、この旅行で1000点以上の日本名・漢字名植物標本を蒐集できたが、日本の北方の植物にも興味をもち、間宮林蔵が蝦夷地で採取した押し葉標本を手に入れたく、間宮宛に丁重な手紙と布地を送ったが、間宮は外国人との私的な贈答は国禁に触れると考え、開封せずに上司に提出した。 高橋景保と間宮林蔵のあいだには確執があったといわれる。間宮がシーボルトから受け取った手紙の内容が発端となり、多くの日本人と高橋景保は捕らえられ取調べを受けることになり、日本地図の返還を拒否したためシーボルト自身も処分の決定を待つことになってしまった。
※この「事件の露見」の解説は、「シーボルト事件」の解説の一部です。
「事件の露見」を含む「シーボルト事件」の記事については、「シーボルト事件」の概要を参照ください。
- 事件の露見のページへのリンク