中華法系の形成と繁栄
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中華法系において、漢字圏で使われている「法律」という用語の登場は遅く、それぞれ「刑」、「法」や「律」が使われていた。この三文字はみな法律のことを意味していたが、二文字の連用はずっと後のことである。清末の法制近代化の過程で、『大清刑律』という法律草案が公表されたが、その刑律とは、刑事法を意味し、広い概念の法律を意味するものではなかった。中国法制史上では、法律としての用語は刑から始まり、法を経て、律に定着したのである。夏、商、西周王朝から春秋時代まで、法律のことは「刑」と呼ばれていた。春秋時代に入ると、法律のことは「法」と呼ばれるようになった。法律のことが「律」として呼ばれたのは、秦国での法制改革を推進した時である。それ以降、清代に至る2100年間において、宋代に『刑統』、元代に『通制』と呼ばれた以外は、全て「律」と呼ばれていた。唐代は、中華法系を爛熟させた王朝としてその功績を歴史に残している。律令法体系は、「律」「令」「格」「式」の4種類の法典から構成される法典の体系であるが、ここでいう「律」とは、「○○せよ」「○○するな」という規範と、それに違反した者への罰則を規定した刑罰基本法典である。『武徳律』から737年(開元25年)の「律」に至るまで、いずれの「律」も、隋時代の『開皇律』と同じく、名例律・衛禁律・職制律・戸婚律・厩庫律・擅興律・賊盗律・闘訟律・詐偽律・雑律・捕亡律・断獄律の12篇目で構成されていた「律」の文意を逐条的に明らかにする公的注釈書として作成された「律疏」も「律」と同等の効力をもった。一般に「唐律」といえば、開元25年の唐律を指す。この年に完成された『唐律疏議』は正に中華法系の集大成法典といってよい。現存している『唐律疏議』は法律と注釈合わせて全30巻、12編502箇条からなる。第1編「名例律」は、法定罪名、刑名および量刑の適用原則を定め、唐代の立法指導思想や法制原則を定める。第2編「衛禁律」は、皇帝、宮殿、太廟、陵墓および関津、軍隊の駐屯、国境防衛、要塞の守衛について定める。第3編「職制律」は、国家機関の設置と定員、国家官吏の選抜・任用・賞罰に関する行政的規定である。第4編「戸婚律」は、戸籍、土地、賦役、婚姻、家庭、相続に関する民事法律規定である。第5編「厩庫律」は、家畜の飼養・管理や倉庫管理および官有物管理を定める。第6編「擅興律」は、徴兵、軍事指揮、武器管理、戦闘規律および官有物所有に関わる規定である。第7編「賊盗律」は、謀反、反乱、殺人、強盗、誘拐、官私財産の不法占有等社会的犯罪を取り締まる規定である。第9編「詐偽律」は、詐欺、偽造、偽証等の犯罪行為の懲罰を定める。第10編「雑律」は、前記各編に収められない犯罪を規定し、内容は交通、計量、造幣、市場管理、医療衛生、公共施設、環境保護、倫理関係等を定める。第11編「捕亡律」は、主に捜査、逮捕等の手続きに関する規定である。第12編「断獄律」は、審判、判決、刑罰の執行、監獄管理に関して定める。この法典は、法体系の構成、条文の簡潔さ、概念の明晰さ、用語使用の適切さ、論理の綿密さ、注釈の理論的工夫等のあらゆる点で中華法系の空前絶後の高みに達したと言われる。また、この法典は中華法系の歴史に終止符がうたれた1911年まで歴代の法制に深甚な影響を与えた。のみならず東アジア諸隣国にも多大な影響を与えた。例えば日本の『大宝律令』のうち11編の題名と順序は唐律と全く同じであり、内容も似ているものが多かった。朝鮮においては「高麗一代の制度は大体唐を模倣したものであり、刑法についても唐律を採用した」と『高麗史』にも記されている。また、ベトナムや琉球王国および中央アジア諸国の古代法典の中からも唐律との源流関係を持つ法条文を見出すことができる。
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