三重県道722号礫浦押淵線とは? わかりやすく解説

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三重県道722号礫浦押淵線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/13 09:26 UTC 版)

一般県道
三重県道722号礫浦押淵線
路線延長 6,265m
制定年 1982年
起点 度会郡南伊勢町礫浦
終点 度会郡南伊勢町押渕
接続する
主な道路
記法
国道260号
テンプレート(ノート 使い方) PJ道路

三重県道722号礫浦押淵線(みえけんどう722ごう さざらうらおしぶちせん)は、三重県度会郡南伊勢町を通る一般県道である。国道260号との重複区間が多い。

概要

路線データ

歴史

礫浦地区は漁業集落であり、海路は発達していたが、明治時代まで陸路はほとんど整備されていなかった。そこで住民が協議を重ね、この路線を完成させた。また、同様の課題をもっていた迫間浦地区は御木本幸吉寄付を受け、トンネルを掘削した。現在の「礫浦押淵線」は両者を合わせた路線を基にしている。

路線状況

重複区間

迫間隧道

  • 陸上交通の遅れていた迫間浦地区の道路改修は長年の懸案だったが、資金難で遅々として進まなかった。そのような折に御木本幸吉が同区に真珠養殖場を開設する際、15,000円を寄付したためこれを原資として時の三重県議会議員小切間重三郎の働きかけで三重県の補助工事としてトンネルが建設された。起工は1926年大正15年)7月で、1933年(昭和8年)8月に開通した[3]
  • これを記念して現地には竣工記念碑が設置されている[3]
  • 延長:220m、幅員:5.5m、高さ:4.0m。
  • 現在は1974年(昭和49年)2月開通の「迫間トンネル」(延長242m、幅員8m、高さ4.5m[3])にその役割を譲っている。トンネル自体は現存し、南伊勢町道となっているが、通行止めである。

地理

礫浦の漁業集落を出発し、相賀大池に沿って進み、国道260号に接続。以降終点まで重複区間となる[4]

通過する自治体

接続する道路

  • 国道260号(南伊勢町相賀浦)

沿線

参考文献

脚注

  1. ^ 『三重県道路調書』による。『南勢町誌』によれば11,927.4mである。
  2. ^ a b c 『南勢町誌』443ページ
  3. ^ a b c d e 『南勢町誌』445 - 446ページ
  4. ^ 県道722号として供用開始されたが、国道260号の路線変更により重複区間となった。

関連項目

外部リンク





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