レーザと光ファイバ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 05:51 UTC 版)
孫子の兵法を紐解くまでもなく、情報収集、通信は人類社会の最大の関心事の一つである。BC500年のダリウス大王は太陽光の反射による点滅で緊急通信網を作ったとされている。情報を簡便で正確に記すためにギリシャ人はBC700年に26文字の母音と子音からなるアルファベットを発明して交易に活用し、ひいては世界の情報を収集・記録し、その集積を基に科学の手法を発明し、社会の革新に影響を与えた。1450年頃、グーテンベルグは中国の印刷技術を改良して活版印刷技術を発明し、知識の蓄積と拡散に貢献した。そして1791年にはシャップは手旗信号のような腕木伝信(セマホー)を発明した。1837年頃にはモールス記号が発明されて電信が普及し、1971年頃までには電信が世界をつないだ。1876年には電話、1896年には無線通信が開拓された。初期の電波は火花放電のようにスイッチオンでパッと出て、直ぐに消えてしまう減衰型であった。これに対して1906年にド・フォレーにより3極真空管が発明され、電波が増幅されて定まった周期で、ピーク値の大きさが一定値に保たれる非減衰型となり, 持続的振動が実現されるとともに、電気信号が増幅されるようになった。こうして、それまでの減衰振動型の電磁波から、持続振動型の電磁波を駆使する高度な通信技術の基盤が築かれた。1947年のトランジスタの発明はこれを助長した.次いで現れたレーザはこれを一層高めた。 一方、伝送路については、光ファイバの開拓に負うところが大きい。ガラスの利用が始まったエジプトでは、ガラス細工の際に光がガラス棒で導かれることが知られ、14世紀のヴェニスではファイ・バフラワーが販売され、このような原理をもとにガラスファイバにより光を導く実験が1930年ごろのドイツのラムによっておこなわれた。1953年にはオランダのヴァン・ヒールらによって、ガラスファイバを芯としてその周囲を別種のガラスでコートした現在のクラッド付き光ファイバの原形が考察された。しかし、当初は1 mの長さで光の強さが数分の一に減少するほど損失の大きいものであった。 さて、1917年にアルバート・アインシュタインは原子の誘導放出の概念を提案し、1953年にヤーノス・フォン・ノイマンは半導体のpn接合に電流を流して光を増幅する発案をして講義などで明らかにした。さらに1954年にレーザの原理となったマイクロ波のメーザが出現し、1958年にはアーサー・シャウローとチャールズ・タウンズは光メーザを着想した。こうして1960年にヒューズ社のテオドール・メイマンによりルビー・レーザが実現し、1961年にはベル研究所でHe-Neガスレーザが、そして1962年になってガリウムひ素などを用いた半導体レーザが、パルス動作ながら、米国の4研究機関から報告された。 レーザを用いる光通信の最初の実験は、1961年に、米国ベル研究所の空間伝搬として行われた。ついで、1963年5月に、末松安晴は学生達を導いて東京工業大学の全学祭の研究室公開行事において、世界最初の光ファイバ通信の実験を行った。その後、レーザからのビーム状の光が空間を伝搬する様子の理論的基礎が作られていった。1968年に分布屈折率導波路の各モード群速度が等しいことが明らかにされた。
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