レーサー時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/09 03:19 UTC 版)
1966年、22歳の時に六甲山へのバードウォッチングの移動手段としてオートバイを使っていた際、同山へツーリングに来ていた走り屋と知り合い、レーサーになる事を勧められる。当初はレースの知識も無く断るが、後に上京した際に日本モーターサイクルスポーツ協会(MFJ)を訪ね、その紹介でヨシムラコンペティションモータースにCB72のチューニングを依頼した。その後、チューニングから戻ってきたマシンのスピードに衝撃を受けレースへの挑戦を決意、レーサーとしてのキャリアをスタートする。順調に勝ち続け、1968年にジュニア 250ccクラスランキング4位に入る。1969年にはセニアクラス 251cc以上でランキング3位に入賞し、他の上位入賞者が辞退したことから、翌年のシンガポールGPへの出場権を獲得、シンガポールGPでは350ccクラスで優勝、オープンクラスでも2位入賞と活躍した。また、四輪レースにも参戦し、そちらでもGTクラス4勝と結果を残すが、費用がかさむなどの経済的な理由により1971年より再び二輪へと競技を絞る。二輪一本で参戦した1972年はセミエキスパート 250ccクラスでチャンピオンに輝いた。その頃、ドリームCB500FOURといった大型車にも乗るようになり、チューニングしたエンジンを重い車体に載せる事により生じる不都合や、車体とエンジン、サスペンションのバランスの重要性を感じ、ライダーとしての目線から車体の構造を考え、所属するヨシムラの吉村秀雄に師事しチューニング技術についても学び始める事となる。
※この「レーサー時代」の解説は、「森脇護」の解説の一部です。
「レーサー時代」を含む「森脇護」の記事については、「森脇護」の概要を参照ください。
- レーサー時代のページへのリンク