レンネル島沖海戦とは? わかりやすく解説

レンネル島沖海戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 00:20 UTC 版)

シカゴ (CA-29)」の記事における「レンネル島沖海戦」の解説

「レンネル島沖海戦」および「ガダルカナル島撤収作戦」も参照 1943年昭和18年1月初め修理終わったシカゴサンフランシスコ出航した南太平洋方面海軍司令官ハルゼー中将の手元には、正規空母2隻(サラトガエンタープライズ)、新鋭戦艦3隻、護衛空母2隻、巡洋艦12隻、駆逐艦25隻という兵力があった。 1月27日シカゴロバート・C・ギッフェン少将率いる第18任務部隊加わりガダルカナル行き船団の間接護衛従事するためヌメア出撃した。ギッフェン少将は、護衛空母2隻(スワニー、シェナンゴ)、重巡3隻(ウィチタシカゴルイスビル)、大型軽巡3隻(モンピリア、クリーブランドコロンビア)、駆逐艦8隻を率いることになった予定では、サボ島沖に待機して日本側の反撃備え遅れて出撃するエンタープライズ (USS Enterprise, CV-6) 基幹第16任務部隊上空援護することとなっていた。第二艦隊司令長官近藤信竹中将率い牽制部隊旗艦愛宕」)がガダルカナル島北方進出してきたので、ハルゼー提督注意をひいていたのである。また日本軍基地航空隊ガダルカナル島撤収作戦支援するため、綿密な索敵をおこなっていた。 詳細は「レンネル島沖海戦」を参照 ガダルカナル島に向け進撃していた第18任務部隊では、護衛空母2隻の速力不足が顕著となっていた。ギッフェン少将護衛空母2隻と駆逐艦2隻を分離した1月29日朝、日本軍偵察機レンネル島南方方面に「戦艦4、重巡3、軽巡および輸送艦10数隻、北北西に向け18ノット」という大艦隊を発見した。さらに複数偵察機派遣され触接につとめる。距離が遠かったので零式艦上戦闘機掩護つけられず、陸上攻撃機による薄暮攻撃敢行した。同29日夕刻会合点に向かう第18任務部隊は、ラバウルから飛来したの一式陸上攻撃機九六式陸上攻撃機襲われた。陸攻部隊日本時間17時20分ごろから照明弾投下しつつ夜間攻撃開始する。第18任務部隊第一波攻撃705空一式陸攻)を撃退したが、第二波攻撃701空九六陸攻)で被害をうけた。被弾炎上した陸攻シカゴ体当たり敢行し、火災発生して良い目標となった17時45分シカゴ右舷缶室に1本、続いて前部機械室付近に1本と、計2本の魚雷命中するシカゴ航行不能になった。ギッフェン少将は第18任務部隊避退命じルイヴィルシカゴ曳航することとなった日本側は陸攻1機が自爆陸攻2機が未帰還となった貝少佐も戦死した。 翌30日朝、曳航任務ルイビルから曳船ナバホ (USS Navajo, AT-64) に交代した午後ブカ島より発進した第七五一海軍航空隊一式陸上攻撃機11機が、第18任務部隊追撃した陸攻隊は護衛空母部隊や、エンタープライズから派遣されF4F戦闘機10機の妨害を受け、陸攻3機が撃墜された。のこる陸攻8機が雷撃敢行した。4本の魚雷シカゴ命中する2日のうちに総計6本もの魚雷命中したシカゴは救う見込みなくなり総員退艦が令された。ナバホからの曳航ロープ切られシカゴは.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}南緯11度25東経160度56分 / 南緯11.417度 東経160.933度 / -11.417; 160.933の地点艦尾先にして沈没したシカゴ沈没のほかにも駆逐艦ラ・ヴァレット (USS La Vallette, DD-448) に魚雷1本が命中し損傷した。これに対し日本海軍陸攻隊も激し対空砲火戦闘機迎撃を受け、陸攻7機を失い帰投した4機もかなり被弾していた。日本側は戦果過大評価し華々しい大本営発表おこなった。なお第二艦隊陽動ひっかかったアメリカ軍日本軍本当目的気付かず水雷戦隊によるケ号作戦成功したシカゴ喪失に、米海軍司令部衝撃受けた護衛艦隊敵機には致命的な存在であるはずの新兵器極秘扱い近接信管(VTヒューズ)弾を搭載した対空砲装備しており、なおかつ10機の戦闘機の直衛までつけていたのに沈没したためである。ニミッツの強い要請で、シカゴ喪失海軍部外へはしばらく秘匿されることになった。これは以前空母沈没発表日本軍防御上の不利益大統領独断公表した過去の経緯からきたものである実際対空砲火による陸上攻撃機隊の被害も相当なものだったので、防空態勢不備があったとは言い難いが、対空システムへの不信感部内広がることを危惧したためである。 シカゴは後に第二次世界大戦戦功で3個の従軍星章受章した

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レンネル島沖海戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/17 19:59 UTC 版)

テイラー (DD-468)」の記事における「レンネル島沖海戦」の解説

1943年1月27日僚艦と共にハヴァンナ港を発ったテイラーら第18任務部隊は、ガダルカナル島周辺活動する数個任務部隊一つとして活動した。レンネル島沖海戦に参加した18任務部隊日本軍航空攻撃受けた1月29日一式陸上攻撃機による魚雷攻撃見舞われた第18任務部隊対空砲火によって最初の攻撃をほとんど損害なく乗り切った空襲との戦い続き重巡洋艦シカゴUSS Chicago, CA-29)に魚雷命中し大きな損害を負わせた。重巡洋艦ルイビルUSS Louisville, CA-28)にシカゴ曳航される間、テイラーは2隻を敵機から守るべく随伴した。翌日敵機攻撃続きシカゴにはさらに4本の魚雷命中しついに沈没したテイラー僚艦乗員の退艦を援護したエファテ島戻った

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