ルイ13世とリシュリューとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > ルイ13世とリシュリューの意味・解説 

ルイ13世とリシュリュー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 03:54 UTC 版)

ヨーロッパにおける政教分離の歴史」の記事における「ルイ13世とリシュリュー」の解説

1610年アンリ4世暗殺後は、わずか9歳ルイ13世王位継承し母后マリー・ド・メディシス摂政となったルイ13世治世当初先王抑え込まれていた大貴族プロテスタント勢力王権反旗をひるがえす構え見せ、その基盤は不安定であった。そのため、フランス王権1614年コンデ公アンリ要請により、全国三部会開催余儀なくされている。1620年国王ルイ13世改革派多数占めベアルヌ地方カトリック支持裁定下したことに改革派反発し同年12月開かれた改革派全国会議で「強硬派」が優勢となって武装蜂起決定したユグノー側の軍事的指導者となったのは、ロアンアンリフランス語版であった1621年から1622年まで続いた両者戦いはほぼ王側の優勢のうちに決着し、モンプリエ条約フランス語版)を結んだが、ここではルイ13世譲歩する形でナントの勅令再確認された。しかし、ルイ13世がモンプリエ条約遵守に熱心でないことに改革派は不満を隠しきれず、1625年に再び戦闘開始されると、宰相であったリシュリューユグノー戦争時代以来改革派拠点ラ・ロシェル包囲しロアンアンリ率い改革派打ち破り、このときリシュリュー外交方針変更して三十年戦争プロテスタント側との提携検討していたため、1626年には講和してパリ条約を結び、宗教の自由保障再確認した。 1624年リシュリュー枢機卿国務会議宰相地位確立しルイ13世支えた政治的動揺はなおも続き三部会準じた名士会1627年召集されている。しかし、これを最後に三部会革命前夜ルイ16世当時まで開かれず、これは絶対王政確立ひと目安とみなすことができる。1627年リシュリューは再びプロテスタント勢力反乱対峙し、13か月におよぶラ・ロシェル包囲戦戦った改革派イングランドとの提携を図るがイングランド艦隊有効な支援ができず、1628年10月ラ・ロシェル陥落した1629年には王軍ラングドック制圧し決定的な勝利を獲得しロアンアンリ国外追放した同年6月には和平成立しアレス勅令フランス語版)が発せられた。宗教的寛容持ち主だったリシュリューは、カトリック教徒不満にかかわらずナント勅令認められていたプロテスタント信仰の自由維持約束したが、プロテスタントには武装解除命じナント勅令認められていた彼らの政治的軍事的権利について剥奪したリシュリュー政策は、外交面ではハプスブルク家との対決姿勢基本とし、内政面では戦争遂行のために課税可能な体制構築をめざすものであり、彼の指導下でフランスドイツ主戦場とする三十年戦争本格的に介入した。しかし、マリー・ド・メディシスらの親スペイン動きフランス国内のプロテスタント動揺させて抵抗へ向かわせていたうえ、増税各地民衆蜂起招いていた。1635年ブルボン朝フランス王国はともにカトリック信仰拠って立つハプスブルク家との全面戦争踏み切ったカトリック国教とするフランスプロテスタント勢力手を組み、西のスペイン、東の神聖ローマ帝国と戦うことを選択した1642年リシュリューが、1643年にはルイ13世相次いで死去したが、「国家理性」の名において正当化され2人の対ハプスブルク政策は、外交的には好結果を生み、上述のように1648年ヴェストファーレン条約1659年ピレネー条約により、フランススペインからヨーロッパ列強首位の座を奪うことに成功する。 この時期文化政策特筆されるのは、1635年リシュリュー枢機卿庇護のもとで学術団体アカデミー・フランセーズ」が創設されたことである。アカデミー・フランセーズ設立中心人物となったヴァランタン・コンラール(フランス語版)は王室秘書にして改革派文筆家であったアカデミー・フランセーズではフランス語辞典編纂事業おこなわれフランス語の「純化」が図られた。古代帝政ローマ歴史参照し至高王権のもとに規律服従旨とする新し政治文化形成追い求めたリシュリューは、言語においてもそのあるべき規範示そうとした。コンラールは熱心なプロテスタント信仰持ち主であったにもかかわらずリシュリュー終生王室秘書地位保障した

※この「ルイ13世とリシュリュー」の解説は、「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」の解説の一部です。
「ルイ13世とリシュリュー」を含む「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」の記事については、「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ルイ13世とリシュリュー」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ルイ13世とリシュリュー」の関連用語

ルイ13世とリシュリューのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ルイ13世とリシュリューのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのヨーロッパにおける政教分離の歴史 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS