ルイ14世の居室
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ルイ14世が1650年7月14日にシュノンソーを訪れたときの記録によれば、彼はずっと後になってから叔父のヴァンドーム公に、リガードによる肖像を贈ったという。そのすばらしい額はルポートル作製、木製で4つの大きな材を組み合わせたものである。肖像と同時に、オービュッソンのタペストリーで覆われた家具と、ブール風のコンソールも贈られたようである。 ルネサンスの暖炉にはサラマンダー(火とかげ)とストート(オコジョ)が刻まれ、フランソワ1世とクロード王妃を表している。天井と剥き出しの横梁を囲むコーニスには、ボイエ家のイニシャルT、B、Kの文字が刻まれている。コンソール上部には、ルーベンスの「幼子イエスとバプテスマのヨハネ」がある。この絵は、スペイン王にしてナポレオンの兄ジョゼフ・ボナパルトのコレクションから1889年に購入された。 居間には18世紀フランスの美しい絵画も飾られている。 ファン・ロー……「ルイ14世の肖像」 ナティエール……「ロアンの王子」 ネシェール……「ルイ14世大臣シャミラールの肖像」「ある男」 ラン……「スペイン王フェリペ5世の肖像」 また、ミニャールによるルイ14世の銀行家サミュエル・ベルナールの大きな肖像画もある。サミュエル・ベルナールはたいへん裕福で、その風雅さと知性をナッティエの肖像画でも賞賛されたデュパン夫人の父親でもある。デュパン夫人はジョルジュ・サンドの義祖母に当たり、18世紀のシュノンソー城主だった。彼女は百科全書派の友人であり、ヴォルテール、ルソー、モンテスキュー、ディドロ、ダランベール、フォントネル、そしてジャック=アンリ・ベルナルダン・ド・サン=ピエールの世話役だった。彼女は親切で寛大な女性で、フランス革命期にもシュノンソー城を破壊から救った。
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