ルイ14世親政期の教会と国家
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「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」の記事における「ルイ14世親政期の教会と国家」の解説
「ルイ14世 (フランス王)」も参照 1661年のマザランの死後、ルイ14世は宰相を置かずに親政を開始した。ルイ14世は財務総監にジャン=バティスト・コルベールを用いて国家財政を健全化するとともに、従来の「移動する宮廷」をやめてパリ郊外のヴェルサイユに壮麗豪華なヴェルサイユ宮殿を建設し、貴族階級をもっぱら宮廷人の役割に甘んじさせることに成功した。リシュリューとマザランの時代に始められた貴族の城塞や都市の非武装化が継続され、常備軍が拡充整備されてフランス史上初の国王による軍事力の独占が実現した。相次ぐ対外戦争は財政難を招いたが、この時期の軍隊は以前よりも定期的に手当が支給されて訓練が行き届き、少なくとも外国の軍隊がフランスからほぼ排除された。ヴェルサイユ宮殿は貴族文化の中心となり、ここから生まれた礼儀作法や上品な趣味などは社会の隅々にまで伝えられる一方、政治的・文化的・芸術的な影響を全ヨーロッパに与えてフランスは洗練された文明の中心と見なされ、ラテン語にかわってフランス語が文明共通の言語と見なされるようになった。
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