ルイ16世の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 01:10 UTC 版)
1774年、ルイ15世が没すると、王位はルイ16世に移る。この時代はアンシャン・レジームと呼ばれる社会体制が成り立っており、第1身分の聖職者、第2身分の貴族、そして第3身分の平民に分かれており、人口の約9割が第3身分であった。大多数の第3身分が税金の負担によって苦しめられている中で、少数の第1身分と第2身分には広大な土地や重要な役職、免税などの特権などを得ていた。パリでは多くのカフェが営業され、カフェや個人的なサロンにおいて、勃興しつつあるブルジョワジーや自由主義貴族が新聞を片手に社会批判を行うようになっていた。このような、王権が及ばない「公共空間]で生まれた公論(世論)は、当時高まっていた啓蒙思想によって理論武装されていき、のちのフランス革命を擁護するような諸理論を育んでいった。こうした中において、国王ルイ16世は、ルイ15世時代の人事を大きく変え、改革派であるジャック・テュルゴーやジャック・ネッケルを起用し、特権身分にも税金を課すなど、王権の及ぶ範囲で改革を目指したが、自由主義擁護者と絶対主義擁護者の板挟みとなり、絶対王政は限界を迎える様になった 。特にテュルゴーは、穀物取り引きの自由化や、親方制度の廃止といった経済的自由主義的な政策を多く導入した。しかしこうした急進的な規制の撤廃は、当時起こっていた凶作が重なったこともあり、1775年に価格の高騰や品不足を引き起こし、パリやノルマンディ、イル・ド・フランスといった諸地域で暴動を誘発した。
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