大革命へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 16:29 UTC 版)
詳細は「フランス革命」を参照 ルイ14世の死後、その後を継いだ曾孫であるルイ15世も、オーストリア継承戦争をはじめとする対外戦争にたびたび出兵して膨大な軍事費を課税で賄った。こうしてフランス革命の遠因を作ることとなった。 ルイ15世の孫ルイ16世の時代にフランスの財政は破綻に瀕した。このため、ルイ16世はそれまで特権階級であった貴族や聖職者にも課税しようと1789年に全国三部会を召集したが紛糾し、それがフランス革命勃発の直接の原因となった。 フランス革命では、革命政府内部でも権力闘争が起こり、さらにフランスの縁戚であったオーストリアなどの干渉もあってフランス国内は混乱が続いたが、1792年に遂に王権が停止され(8月10日事件)、国民公会によって王政が廃止された。1793年にはルイ16世が処刑された。 ルイ16世の死後、その息子である幼少のルイ17世は革命政府からぞんざいな扱いを受け、1795年に病死した(生存説もある)。これ以降、ルイ16世の弟プロヴァンス伯爵(後のルイ18世)が亡命先でフランス国王を自称した。
※この「大革命へ」の解説は、「ブルボン朝」の解説の一部です。
「大革命へ」を含む「ブルボン朝」の記事については、「ブルボン朝」の概要を参照ください。
- 大革命へのページへのリンク