大韓サッカー協会の誕生
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「大韓サッカー協会」の記事における「大韓サッカー協会の誕生」の解説
1945年8月15日、日本の敗戦により朝鮮半島はその統治から脱すると、その年の9月には早くも朝鮮蹴球協会(現在の大韓サッカー協会)が再建される。その2年後の1947年には国際サッカー連盟(FIFA)と国際オリンピック委員会(IOC)への加盟も正式に認められた。 大韓民国が正式に樹立した1948年に国際サッカー連盟(FIFA)に加盟。1948年のロンドンオリンピックには韓国代表として初の国際舞台を踏んだ。1954年第2回マニラアジア大会中の1954年5月8日に、他の12か国と共にアジアサッカー連盟(AFC)を創設し、同時にAFCに加盟した。同年の6月16日からはFIFAワールドカップ・スイス大会に参加。初の進出であったがグループステージ全敗に終わった。 1956年から開催されたアジアカップでは、第1回大会と第2回大会(1960年)に連続して優勝。1960年代はこれ以降、キングスカップ、アジア大会、アジアユース選手権などで数多くの優勝を収めるなどアジアの強豪国として、「アジアの虎」と呼ばれるようになった。 しかし世界での活躍はあまり芳しくなく、東京オリンピック (1964年)には本戦に出場したものの予選で敗退。次のメキシコオリンピック(1968年)ではアジア地区予選で得失差により日本が本選に進出して銅メダルを獲得したため、アジア最初の上位入賞を先に果たされてしまった。 1971年、韓国で初めての国際大会となる「朴大統領カップ争奪アジアサッカー大会」を開催し、世界各国の代表や有名クラブチームが参加。この大会は大会名を変えつつ、1999年まで定期的に行われていた。
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