パリ条約 (1634年)とは? わかりやすく解説

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パリ条約 (1634年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/07 17:59 UTC 版)

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スウェーデン宰相アクセル・オクセンシェルナ、1635年作。

パリ条約(パリじょうやく、ドイツ語: Vertrag von Paris)は1634年11月1日フランス王ルイ13世三十年戦争におけるプロテスタント同盟とスウェーデンの間の条約。条約により、フランスはプロテスタント側に兵士1万2千と50万リーブルを提供した[1]

その代わり、フランスは1618年時点でカトリック側だった地域がカトリックを維持することと、アルザス地方ストラスブール市の割譲を要求した。停戦協定や講和条約はフランスの同意を必要とした[1]。この時点ではフランスはまだ直接参戦はしたくなかった。

条約はネルトリンゲンの戦いにおけるスウェーデンとその同盟軍の大敗から2か月後に締結された。そのため、この時期にはカトリック側の帝国軍が軍事的に優勢だった。ハイルブロン同盟が崩壊した後、ドイツのプロテスタント諸侯はフランスに助けを求めようとした。条約の交渉はフランスの大使フキエール侯爵英語版がルイ13世とリシュリュー枢機卿を代表して行った。

スウェーデン宰相アクセル・オクセンシェルナは当時7歳だったクリスティーナ女王を代表して署名することを拒否した。彼は翌年パリへ出向、リシュリューと直接交渉して1635年4月30日に条件が改善されたコンピエーニュ条約ドイツ語版を締結した[1]

脚注

  1. ^ a b c Koniarek, Klaus. “Frankreichs Unterhändler Marquis de Feuquières”. 2017年6月25日閲覧。



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