リード・オルガンとハーモニウムとは? わかりやすく解説

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リード・オルガンとハーモニウム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 09:00 UTC 版)

オルガン」の記事における「リード・オルガンとハーモニウム」の解説

詳細は「ハーモニウム」を参照 (英語: reed organ, harmonium独語: Harmonium仏語: harmonium伊語: armonium)足踏み式のふいごが風力源となり、手鍵盤を押すことによって発音させるべきフリー・リード選択して風を開放させ演奏するこの据え置き型オルガンは、大きく分けて2種ある。吸気式ふいごによるものと、吐気式ふいごによるもので、北アメリカでは吸気式を「リード・オルガン」、吐気式を「ハーモニウム」と呼んで区別してきた。ヨーロッパ諸国ではどちらも区別なく、一律にハーモニウム」と呼ぶ。 "Aeoline"(エオリーネ)という楽器がベルンハルト・エッシェンバッハ (Bernhard Eschenbach, 1767-1852) とその従兄弟のヨハン・カズパー・シュリンバッハ (Johann Caspar Schlimbach, 1777-1861) によって1810年発明された。また、"Physharmonika"(フィズハルモーニカ)という楽器がアントン・ハックル (Anton Haeckl) によって1821年ウィーン特許取得された。 また、アメリカではグッドリッチ (Ebenezer Goodrich) が最初の "Harmonium"(ハーモニウム)を1810年ごろに作った。同じころ、フランスのガブリエル・ジョゼフ・グルニエ (Gabriel Joseph Grenié, 1756-1837) が "Orgue expressif"(オルグ・エクスプレッシフ)を作った。のちに世界的なパイプ・オルガン建造家として伝説的な偉人となったカヴァイエ=コル (Aristide Cavaillé-Coll, 1811-1899) は、室内楽向けの素晴らしく完成され芸術的楽器生み出し、これを "Poïkilorgue"("poikilos":「多彩な」「芸術的な」+ "orgue":「オルガン」)と呼んだフランクこのため数多く作品作曲しサン=サーンスリスト作曲している。 フランスのアレクサンドル・フランソワ・ドゥバン (Alexandre François Debain, 1809-1877) により "Harmonium"(アルモニオム)という名称で1842年特許取得されたのが、その最初の定義となっており、それは吐気式によっていた。 バッシュマン (J.D.Buschmann) が1836年に、より簡単な吸気式を考案した。しかし、ヨーロッパではそれはまだ可能でなかった。吸気式の開発は、1860年代からアメリカで進められた。その結果、それが可能になったのはJames Cahartの発明よるものとされている。のちにアメリカメーソン&ハムリン社が1861年パリ万博吸気式のものを出展したとされている。万国博には各社毎回出品しその際受賞メダリオン鍵盤の上のストップボードに誇らしげプリントする習慣見られた。この習慣日本ヤマハ内国勧業博覧会にて踏襲していた。 リードオルガン19世紀後半には人気の高い楽器であり、米国でも家庭的な娯楽として一般的だったピアノよりずっと安価で、調律安定しており、軽量かつ頑丈運搬しやすく、馬車蒸気機関車牽引列車などによる輸送に耐えた。米国ではリードオルガンパイプ・オルガン代わりとして会衆の歌の伴奏広く使用された。この楽器基本的な特徴は、微妙な強弱表現ができ、小型である点にあったその結果パイプオルガンとは違い当時勃興していた多少裕福な市民サロンパーラー応接室)、アメリカ、カナダアフリカ中国インド日本など開拓伝道辺境の小教会にもオルガン備えるというニーズ応えた1900年代前半ピアノ生産技術進歩によって、ピアノはより手頃になった結果リード・オルガン人気急激に低迷したリード・オルガンピアノに取って代わられた他の理由は、神聖なパイプ・オルガン代用だったことと、世俗的な家庭用オルガンの間に揺れ動く曖昧なその立場にあり、またリード・オルガンのための独創的な作品不足していたということ挙げられる。なお、実際に多く作品があったが、20世紀中ごろからピアノ作品駆逐されて演奏されなくなった日本ではリード・オルガン」「足踏みオルガン」と呼ぶのが一般的で、以前単純にオルガンというと、この種の楽器第一義的に指していた。その歴史背景として、明治期から昭和期にかけて、宣教師外国製リードオルガン持ち込み宣教活動使用したことと、明治期から昭和期にかけて国産リードオルガン100万台を上回る台数製造され唱歌教育の中で直接的に音楽普及貢献したことがある蓄音機ラジオ家庭普及する以前、すでに公教育の中でリードオルガン導入進み全国尋常小学校児童への唱歌教育成功していた。明治期普及したのは安価な39鍵、49鍵の小型で、大正時代にはストップつきも珍しくなくなった。高級型のリードオルガン16フィートストップや4フィート、2フィートセレステやフルオルガン、スウェル備え、おもに師範学校音楽学校などに納入された。少数ではあるがペダル鍵盤つきも音楽学校などに納入されていた。 おもなメーカー明治期長尾長尾オルガン西川虎吉西川オルガン(のちに日本楽器横浜工場)、山葉寅楠のヤマハオルガン(日本楽器製造浜松工場)、池内甚三郎池内オルガン(のちに東洋楽器製造龍野市)、石原久之祐の石原オルガン松本新吉松本オルガン東京月島工場など)、昭和期になって河合小市のカワイオルガン、名古屋山下オルガンなどがあった。太平洋戦争のあとにも多数楽器会社リードオルガン製造を手がけた。楽器会社製造して相手先ブランド家電メーカーデパートミシン会社までもがリードオルガン販売していた。リードオルガン製造・販売日本楽器製造産業基礎築いたまた、この楽器のために多く楽譜出版販売された。代表的な島崎赤太郎編「オルガン教則本」は昭和11年146版を重ねている。国民歌謡椰子の実」を作曲した大中寅二リードオルガン用の芸術的な曲を数多く作曲している。ほかに中田章木岡英三郎草川宣雄、眞篠俊雄、奥田耕天、秋元道雄らがリードオルガン用の練習曲集などを発表リードオルガン教育普及貢献した

※この「リード・オルガンとハーモニウム」の解説は、「オルガン」の解説の一部です。
「リード・オルガンとハーモニウム」を含む「オルガン」の記事については、「オルガン」の概要を参照ください。

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