松本新吉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/21 18:40 UTC 版)
松本 新吉(まつもと しんきち、1865年 - 1941年5月3日)は、日本のピアノ調律師で楽器製造者である。
人物・来歴
1865年(慶応元年)上総国周淮郡常代村(現・千葉県君津市常代)で生まれる。1887年(明治20年)に横浜へ移住すると、叔父西川虎吉に弟子入りして、西川風琴製造所に勤務するが、数年で解雇される。この解雇は叔父が1894年(明治27年)1月発刊の音楽専門誌『音楽雑誌』の裏表紙広告に逸話として使った[1]。
2年後の1895年(明治28年)には起業して東京新湊町でオルガン製造を始めると、翌1896年(明治29年)に「ピアノ調律師 松本新吉『風琴製造と販売』」の広告を出す[注釈 1]。
1900年(明治33年)に単身で渡米すると、半年ほどニューヨークのブラッドベリー・ピアノ工場で研修生を務める。この工場のマネージャーは松本を「規律正しく、熱心でしかも忍耐強い人物」であると褒め称えている[2]。1902年(明治35年)、「松本ピアノ及オルガン製造所」に社名を改め、ベビーピアノの製造を開始すると、創業翌年の1903年(明治36年)に出品した第5回内国勧業博覧会でベビーピアノが2等賞を受賞する。松本楽器合資会社を1904年(明治37年)に設立し、東京の月島に「松本ピアノ・オルガン製造所」建設(1907年(明治40年))、銀座4丁目に「松本楽器販売店」を設立する。
ところが2年後の1909年(明治42年)に株式を山野政太郎ほかに譲渡すると、1914年(大正3年)には松本楽器合資会社を解散し、同年、京橋柳橋に新たな松本楽器店を設立した。
松本ピアノ製造株式会社を1923年(大正12年)に起こすが、半年後に発生した関東大震災により工場を焼失する。同社は翌年に解散し、工場を個人経営に切り替え長男の松本広が「松本ピアノ」の名義を継承する。新吉は故郷の千葉へ移り住んで隠居する。
1941年(昭和16年)、松本新吉は死去、77歳であった。
2017年には君津市主催コンサートで松本ピアノが演奏された(八重原公民館開館20周年記念)[3]。
松本ピアノ
松本家一族による「松本ピアノ」は3つのブランドがある[4]。
- S. MATSUMOTO:創業者松本新吉によるブランド
- H. MATSUMOTO:長男の松本広によるブランド
- MATSUMOTO & SONS:千葉の工場で六男の松本新治とその家族が引き継いだブランド。
文化資産「松本ピアノ」
学校に納められた松本製のピアノは、文化資産として大切にされている[5][6][7]。
参考文献
主な執筆者、編者の順、脚注に使用。
- 清和大学短期大学部 編『清和大学短期大学部紀要』清和大学短期大学部、2019年-2023年。ISSN 1349-1687
- 鈴木 希実「文化資産『松本ピアノ』の保管の現状と考察」48号、2019年、国立国会図書館書誌ID: 000004355286-i4554931。
- 鈴木 希実「旧三島小学校の松本ピアノ」49号、2020年、 CRID 1520009410058945408、国立国会図書館書誌ID: 000004355286-i4555068。
- 鈴木 希実「施設における文化資産『松本ピアノ』の活用と役割」52号、2023年、国立国会図書館書誌ID: 000004355286-i31884013。
- 「松本ピアノ」『楽器の事典 ピアノ』東京音楽社、1982年、211頁。 ISBN 4-88564036-9。
- 「国産ピアノブランド一覧」『JAPAN PIANO ATLAS』ミュージックトレード社、1992年、370頁。
脚注
注釈
出典
- ^ 『日本のピアノ100年』草思社 2001年 ISBN 4-79421086-8 54頁「一子相伝の秘術」
- ^ 東京音楽社 1982, p. 211
- ^ “きみつアーカイブス”. archives.kimitsu.jp. 2025年2月21日閲覧。
- ^ ミュージックトレード社 1992, p. 370
- ^ 鈴木 2019, pp. 29–37
- ^ 鈴木 2019, pp. 35–39
- ^ 鈴木 2023, pp. 27–36
関連書籍
発行年順。
- 大場南北『松本新吉伝』(うらべ書房〈君津文化叢書 ; 第1輯〉、1985年)doi:10.11501/13249209、国立国会図書館書誌ID: 000001980828。
- 松本 雄二郎『明治の楽器製造者物語 : 西川虎吉 松本新吉』(松本雄二郎、三省堂書店、1997年) NCID BA32455092。松本新吉の肖像あり。年表: p278-281。
- 『松本ピアノの歴史 : 3代続いたスウィート・トーン』松本ピアノ・オルガン保存会、2012年1月。国立国会図書館書誌ID:
023429184。
- 松本ピアノの歴史年表・文献:72-75頁。
- 君津市教育委員会『松本ピアノ 工場調査報告書』千葉県君津市、2013年(平成25年)5月31日。全78頁
- 君津市『松本ピアノの歴史』全101頁
- 田中 智晃 ほか「松本ピアノの歴史にみられる流通・マーケティング戦略」東京経済大学経営学会 編『経営学』294号、19-42頁、東京経済大学経営学会、 2017年。国立国会図書館書誌ID: 028388601。掲載誌別題『The journal of Tokyo Keizai University』
- 津田 裕子「『松本ピアノフェスティバル』について」(特集 私のプログラミング (第2回))日本音楽舞踊会議 編『音楽の世界』56巻2号(通号576)2017年春、7-10頁、日本音楽舞踊会議。音楽家がつくる芸術・社会のための季刊誌。
- 田中 智晃「中小ピアノメーカーの蹉跌 : 松本ピアノと流通という参入障壁」『ピアノの日本史 : 楽器産業と消費者の形成』名古屋大学出版会、2021年6月。
ISBN 978-4-8158-1029-0、国立国会図書館書誌ID:
031470047。富裕層の専有物であったピアノが人々に親しまれるようになった由来を、明治~現代の歴史からたどり、その普及を可能にした意外な原動力を示す(出版情報登録センター(JPRO))。
- 「第5章 中小ピアノメーカーの蹉跌 §1 戦前期の松本ピアノ製造」
- 「§松本ピアノと流通という参入障壁」169頁-
- 「§1 戦前期の松本ピアノ製造」172頁-
- 「§2 戦後の松本ピアノ工場の競争劣位」188頁-
- 図版
- 図5-1 松本家の家系図/ 189頁
- 図5-2 松本ピアノ工場生産台数の推移(1948~86年)/ 190頁
- 図5-3 松本ピアノ八重原工場の配置図(戦後,ピアノ工場として稼働していた時期)/ 198頁
- 表
- 表5-2 松本新吉の渡米日誌(177-178頁)
- 表5-3 松本・山葉を中心とする音楽専門誌広告掲載数の推移(184頁)
- 表5-4 松本・山葉を中心とする音楽専門誌新規広告掲載の割合(185頁)
- 表5-5 松本ピアノ工場の売上高と利益の状況(190頁
- 表5-6 松本ピアノ生産ブランド一覧(192頁)
- 表5-7 松本ピアノブランド別生産台数(193頁
- 表5-8 松本ピアノ工場販売先 (1950~70年代)(195頁)
- 表5-9 松本ピアノ工場における小売店への製品卸値および掛け率 (1960年代後半)(196頁)
- 表5-10 松本ピアノ工場の仕入先 (1950~70年代)(197頁)
- 栄長 敬子、小林 恭子、鈴木 希実、永井 知可子、西路 優佳、原 葉子、別府 祐子、松本 哲平、若原 真由子『うたのミックスジュース : こどものうた242 : かんたんに弾ける充実度100%のアレンジ』佐藤 雄紀、野口 雅史 監修、楽譜(圭文社、2024年8月)。鈴木希実は文化資産「松本ピアノ」の歴史と活用の調査者(提供元: 出版情報登録センター(JPRO))。
関連項目
外部リンク
- 松本ピアノに関する資料 きみつアーカイブス(君津市)
- 松本新吉のページへのリンク