ファイヤアーベント
ポール・ファイヤアーベント
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/17 22:37 UTC 版)
ポール・カール・ファイヤアーベント(Paul Karl Feyerabend、1924年1月13日 - 1994年2月11日)は、オーストリア出身の哲学者、科学哲学者である。アメリカ合衆国にあるカリフォルニア大学バークレー校の哲学教授を30年にわたり務めた。主著は『方法への挑戦("Against Method")』(1975年)、『自由人のための知("Science in a Free Society")』(1978年)、『理性よ、さらば("Farewell to Reason")』(論文集:1987年)。ファイヤアーベントは科学へのアナーキスティックな見方と、普遍的な方法論の否定によって有名になった。ファイヤアーベントは科学哲学にくわえ、科学社会学においても影響力を持つ人物である。
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- 1 ポール・ファイヤアーベントとは
- 2 ポール・ファイヤアーベントの概要
- 3 関連項目
ファイヤアーベント
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/21 22:32 UTC 版)
「ラカトシュ・イムレ」の記事における「ファイヤアーベント」の解説
ポール・ファイヤアーベントは、ラカトシュの方法論は全くもって方法論などではなく、「方法論の要素であるかのように『聞こえる』言葉」にすぎないと主張した。彼は、ラカトシュの方法論は実践においては、ファイヤアーベント自身の立場である認識論的アナーキズムと何ら変わるところはないと言っている。彼は(ラカトシュの死後に)「開かれた社会の科学」のなかでこう書いている: ラカトシュは合理性の基準、つまり論理に含まれる基準は制約が強すぎで、科学が何らかの判断を下す際の妨げになることを理解して言葉にした。そのため彼は科学者が合理性の基準を破ることは許す(彼はこういった基準から考えれば科学は「合理的」でないと言っている)。しかし、彼はリサーチプログラムに長期的には明らかな特徴―リサーチプログラムは前進的でなければならない―を示すことを要求する。私はこういった要求のもとでは少しも科学を行えないと主張する。どんな発展も私のこの主張に賛成する。 ラカトシュとファイヤアーベントは、ラカトシュが合理主義的な科学の記述を進めてファイヤアーベントがそれを攻撃するような共作を執筆する計画をしていた。
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ファイヤアーベント
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/12 05:58 UTC 版)
「サクラテツ対話篇」の記事における「ファイヤアーベント」の解説
宇宙船「プリンキピア・マテマティカ号」に乗って地球を侵略しに現れた、自称・常勝無敗の美しき宇宙海賊。何事もダーツで決めることが信条で、たとえ3年の月日がかかろうとも当たるまで投げ続けるが、ダーツの腕前は非常に悪い。スノッブなフォルムの宇宙人を何人も従えている。
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