ト1形 (1, 2)
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無蓋車。1921年3月に枝光鉄工所で製造された。ワフ1形(1, 2)と同様に建設時より使用されていたとされる。
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ト1形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 03:47 UTC 版)
「買収された貨車の一覧」の記事における「ト1形」の解説
秋田鉄道が1934年(昭和9年)6月1日に買収され、それに伴いト1形8両(ト1 - ト8)が既存形式であるト1形(ト2884 - ト2891)に編入された。 佐久鉄道が1934年(昭和9年)9月1日に買収され、それに伴い8両(ト1 - ト3、ト5 - ト9)が既存形式であるト1形(ト2892 - ト2899)に編入された。 信濃鉄道が1937年(昭和12年)6月1日に買収され、それに伴い8両(ト550、ト650、ト600 - ト602、ト900 - ト902)が既存形式であるト1形(ト16881 - ト16888)に編入された。 芸備鉄道が1937年(昭和12年)7月1日に買収され、それに伴い21両(ト11 - ト31)が既存形式であるト1形(ト2900 - ト2920)に編入された。 横荘鉄道が1937年(昭和12年)9月1日に買収され、それに伴いト121形1両(ト122)が既存形式であるト1形(ト16889)に編入された。 富士身延鉄道が1941年(昭和16年)5月1日に買収され、それに伴いト1形21両(ト1 - ト6、ト8 - ト20)が既存形式であるト1形(ト2921 - ト2941)に編入された。 白棚鉄道が1941年(昭和16年)5月1日に買収され、それに伴い15両(ト7 - ト21)が既存形式であるト1形(ト2942 - ト2956)に編入された。 ト1形は総計4,877両(ト1 - ト9、ト11 - ト2969、ト15000 - ト16362、ト16400 - ト17046)が在籍した。 私鉄名形式名番号鉄道省型式名番号秋田鉄道 ト1形 ト1 - ト8 ト1形 ト2884 - ト2891 佐久鉄道 ? ト1 - ト3、ト5 - ト9 ト1形 ト2892 - ト2899 芸備鉄道 ? ト11 - ト31 ト1形 ト2900 - ト2920 富士身延鉄道 ト1形 ト1 - ト6、ト8 - ト20 ト1形 ト2921 - ト2941 白棚鉄道 ? ト7 - ト21 ト1形 ト2942 - ト2956 信濃鉄道 ? ト550、ト650、ト600 - ト602、ト900 - ト902 ト1形 ト16881 - ト16888 横荘鉄道 ト121形 ト122 ト1形 ト16889
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ト1形(ト27 - 32)
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「天塩炭砿鉄道」の記事における「ト1形(ト27 - 32)」の解説
1949年(昭和24年)4月2日認可で国鉄より譲り受けた10t積木製2軸無蓋車で、国鉄での番号は順にト1形ト1606、ト2963、ト16682、ト595、ト16509、ト16563。
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ト1形(ト11、15-20)
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「北海道炭礦汽船夕張鉄道線」の記事における「ト1形(ト11、15-20)」の解説
1955年にト101形ト101、ト106、ト107、ト108、ト103、ト104、ト105に空気制動機を取り付けてト形ト11、15 - 20としたもので、ト11とト15は上記のフト1形のうち事故廃車となったフト11→ト11およびフト15→ト15とのは別の車両。
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ト1形(ト1 - ト3)
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「一畑電気鉄道広瀬線」の記事における「ト1形(ト1 - ト3)」の解説
開業時に蒲田車輛で新造導入された木造無蓋車。3両とも広瀬線廃線時に廃車となった。
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ト1形(1-5)
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ト1形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 07:38 UTC 版)
「東急電鉄の機関車・貨車」の記事における「ト1形」の解説
1920年・1922年に玉川電気鉄道が新造した軌間1,372mmの砂利輸送用10t積2軸無蓋車ト1 - ト20で、少なくとも一部は狭軌時代の貨車(20両)を改造した車両である。一部はあおり戸を外して水タンクを付けて撒水車となっていた。1937年にト1 - ト7の7両が廃車され、残る13両が東急に引き継がれト1形ト1 - ト13となった。 1943年には湘南線(現・京急本線)の保線用貨物自動車がほとんど使用不可能になったため、その代わりとしてト6 - ト11の6両が湘南線へ転属しト5070形ト5071 - ト5076となった。玉川線に残った7両は引き続き保線用等として使用されたが、後年や殆ど使用されずに二子玉川園などで留置されていた。 その後、1963年から1966年にかけて廃車された。デト3030形とともにバッファ付連環連結器のままであったが、バッファはごく簡易なものであった。 湘南線へ転属した6両は、1948年には東急の再編成により京浜急行電鉄へ引き継がれト70形ト71 - ト76となったが、老朽化により1951年に廃車された。
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ト1形(2代)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/04 09:10 UTC 版)
「国鉄ト20000形貨車」の記事における「ト1形(2代)」の解説
ト1形は、ト20000形を1952年(昭和27年)度から木体化改造して製作された10トン積み二軸無蓋車である。番号は原番号から20000を減じたもの(ト20000はト7380とした)とされ、6,960両(ト1 - ト7380。欠番多数)が国鉄工場で製作された。 鋼製無蓋車の木体化改造は、本形式、トム19000形 → トム39000形、トラ4000形、トラ5000形 → トラ6000形の4形式で行われたが、本形式ではあおり戸高さを大きくして容積を増し、あおり戸の構造も変更している点が特徴的である。あおり戸の高さは、ト20000形時代の590mmから770mmとされ、荷台の内法寸法は、長さ5,506mm、幅2,400mm、床面積13.2m2で、容積は27.7m3にまで増加した。これは、ト1形(初代)の淘汰が完了していたため、同形式との互換性を考慮する必要がなくなったためである。それにともない、石炭荷重は10トンに増加し、取扱いに難のあった1枚物の鋼製あおり戸は、中央で分割して2枚物とし、側柱も着脱式のものが取り付けられた。木製化にともない、蝶番の位置が変更され、台枠の長土台受けの位置も変更している。自重は6.9tとなった。 改造後は、唯一の10トン積み無蓋車として全国で使用されたが、1968年(昭和43年)10月1日国鉄ダイヤ改正では、軸ばね支持方式がシュー式であるため、全車が高速(最高速度75km/h)化不適格とされ、「ロ」車として黄帯を標記し、特定線区や北海道内に封じ込めて運用された。1968年度末には246両が在籍していたが、書類上は1983年(昭和58年)に形式消滅となった。ただし、実車は1970年(昭和45年)度に消滅していたようである。
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