狭軌時代
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1977年まで狭軌用蒸気機関車と狭軌客車での運行が行われていた。1965年から廃止までは、仁川工作廠で製造された狭軌用気動車(エンジンはカミンズ製、液体式変速機は新潟鐵工所製)が運用された。両運転台で非冷房。全長14100m、幅2153mm、高さ3200mm。最高速度は60km程度。
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狭軌時代
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既述の通り、琿春鉄路の頃と東満洲鉄道となった初期の頃がこれに当たる。しかしこの頃の車輛に関する資料は皆無であり、詳細はほとんど不明である。ただし当時の機関車を写した写真が残されており、それによると10トン程度のC形サイドボトムタンク機関車であった。この形態は軽便鉄道の蒸気機関車としてよく見られたコッペル製の小型機関車のものか、それを模倣したものである。路線規模から数両存在した可能性があるが、不明である。
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