セミノール族 / ミコースキー族
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「エバーグレーズ地域のインディアン」の記事における「セミノール族 / ミコースキー族」の解説
詳細は「セミノール」を参照 カルーサ族とテケスタ族が消失した後、南フロリダのインディアンは1740年代に「スペイン系インディアン」と呼ばれていた。これはおそらくスペインとの良好な関係を築いていたためである。1763年にスペインが七年戦争に敗北し、1783年にアメリカ独立戦争が終結したその間は、イギリスがフロリダを支配していた。「セミノール」という言葉が初めて使われたのは、イギリスのインディアン代理人が1771年付けの文書で記録したものだった。この部族の始まりはぼんやりとしているが、記録に拠れば、クリーク族がフロリダ半島に侵入し、先コロンブス期の社会から残っていた者を征服し、同化して、クリーク連邦の中に組み入れたことを示している。その文化が混合したことは現在のセミノール族の中にある言語的な影響力の中に顕著である。様々なマスコギ語族の言語、特にヒチティ語、クリーク語、さらにティムクア語が残っている。19世紀初期、アメリカ合衆国のインディアン代理人が、セミノール族のことを次の要領で説明している。「セミノールという言葉は、逃亡あるいは断絶を意味している。かくして...フロリダ準州の全てのインディアンに適用される。彼らの全てが...クリーク族からの逃亡者だからである」言語学的に、「セミノール」という言葉は、クリーク語の「スア」(太陽神)、「マ」(母、ただしこの使い方では蔑称の意味がある)、「オル」(人々)を合わせたものであり、「太陽神が愛さない人々」あるいは「呪われた」を意味している。 現在のアラバマ州とジョージア州を中心にしていたクリーク族は、征服した部族を自部族の中に取り込んでいったことで知られていた。サウスカロライナ州やジョージア州で奴隷制度から逃亡してきたアフリカ人がフロリダに逃げてきていた。彼らはスペインがカトリックに改宗すれば自由を与えると約束していたことに惹かれ、セミノール族に入る道を選んだ。セミノール族は当初フロリダの北部に入植していたが、1823年のムールトリー・クリークの条約によって、オキーチョビー湖の北にあるインディアン居留地、広さでは500万エーカー (20,000 km2) に住むことを強いられた。彼らは間もなく南に進出し、エバーグレーズ地域では人口約300人となった。その中には異なる言語を話す類似した部族であるミコースキー族のバンドがおり、ビッグサイプレスに住んでいた。カルーサ族やテケスタ族とは異なり、セミノール族は農業に多く依存し、家畜を育ててもいた。食べるためのものを狩猟し、ヨーロッパ系アメリカ人と交易した。側面を開放し屋根をヤシの葉で葺いたチッキーと呼ぶ家に住んだが、恐らくこれはカルーサ族から受け継いだものだった。 1817年、アンドリュー・ジャクソン将軍がフロリダを侵略しアメリカ合衆国への併合を急がせた。これが第一次セミノール戦争となった。フロリダがアメリカ合衆国の領土となると、開拓地が増加し、開拓者とセミノール族との間の紛争が頻繁になった。第二次セミノール戦争(1835年-1842年)の結果、フロリダにいた4,000人のセミノール族の大半が移住させられるか、殺されるかした。セミノール戦争の結果、インディアンはさらに南に押し込まれ、エバーグレーズに行くことになった。エバーグレーズを逃げ場としなかったインディアンはインディアン移住法の下に、現在のオクラホマ州にあったインディアン準州に移住させられた。 第三次セミノール戦争は1855年から1859年まで続いた。その間に20人のセミノール族が殺され、240人が移住させられた。1913年までにエバーグレーズのセミノール族は325人に過ぎなくなっていた。川の中あるいは松の岩場森林に形成された硬木の島である硬木叢林の中にその集落を作った。セミノール族の食料はひき割りトウモロコシ、ザミアの根、魚、亀、鹿、小動物だった。集落は、叢林の大きさが限られていたために大きくなく、平均して1エーカー (4,000 m2) から10エーカー (40,000 m2) の間だった。集落の中心に料理小屋があり、最大の構造物が食事のために取っておかれた。セミノール族が北フロリダに住んでいたとき、クリーク族の先祖に似た動物の革でできた衣服を着ていた。エバーグレーズは暑く湿気ているので、異なるスタイルの衣服をまとうように適応した。重いバックスキンの服に代わって、軽い綿布でできたキャラコのパッチワークであったり、よりフォーマルな場合には絹でできた衣類を着用した。 セミノール戦争の結果、エバーグレーズのアメリカ軍の兵力を増し、それまで記録されていなかった多くの地域の探検が進んで、地図化もされた。エバーグレーズの地図化や海図作成を行った軍隊の士官に、1848年トマス・バッキンガム・スミスが接触して、農業用途のためにエバーグレーズ地域を排水することの可能性について相談した。
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