第一次セミノール戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/04/25 00:36 UTC 版)
「フロリダ州の歴史」の記事における「第一次セミノール戦争」の解説
1810年10月27日、アメリカ合衆国大統領ジェームズ・マディソンが、この地域はルイジアナ買収の一部であると宣言することで、西フロリダの一部はアメリカに併合された。当初、買収交渉者ファルワー・スキップウィズと西フロリダ政府はこの宣言に反対し、アメリカ合衆国に加わる条件を交渉しようとした。しかし、この領地の占領に派遣されたウィリアム・クレイボーンは西フロリダ政府の正当性を認めようとしなかった。スキップウィズは「一つ星国旗の防衛のために死ぬ」用意があると宣言した。しかし、スキップウィズと議会が最終的には折れて出て、マディソンの宣言を認めることに合意した。12月6日にはセントフランシスビル、12月10日にはバトンルージュが占領された。これらの地域は新しく創られたオーリンズ準州に組み入れられた。アメリカ合衆国は1812年に西フロリダのモービル地区をミシシッピ準州に付加した。スペインはこの地域に関する領有権主張を続けたが、アメリカは次第に占領する地域を拡げていった。 開拓者達がインディアンの町を攻撃した後で、東フロリダを拠点とするセミノール族はジョージア州への襲撃を始めたが、これはスペインの命令によるものであったと言われている。アメリカ陸軍はスペイン領土内への侵略を繰り返すようになった。アメリカ大統領アンドリュー・ジャクソンは、「アメリカに従わないインディアン部族は絶滅させる」とするインディアン絶滅政策を採り、1817年から1818年にかけて行われたセミノール・インディアンに対する作戦行動は第一次セミノール戦争と呼ばれた。この戦争の後、アメリカは実質的に東フロリダを支配した。 1819年2月22日、アメリカとスペインの間でアダムズ=オニス条約が締結され、1821年7月10日に効力を発揮した。この条約の条件に拠れば、アメリカはフロリダを獲得し、その代償にテキサスに対する領有権主張を取り下げるというものであった。アンドリュー・ジャクソンは1821年7月17日、ペンサコーラで正式にスペイン当局からフロリダの支配を引き継いだ。
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