スペインの領土
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/31 04:39 UTC 版)
「アダムズ=オニス条約」の記事における「スペインの領土」の解説
スペインは長い間米国からのフロリダ購入の申し入れを拒否し続けてきたが、1818年になり、フロリダを割譲することが得策だと考えられるような状況となっていた。スペインは半島戦争で疲弊状態となっており植民地でのプレゼンスと信用を再構築する必要にも迫られていた。中南米の革命家たちは独立を主張するようになっていた。米国からの移民者が多数を占めるフロリダに関して、スペインには更なる投資を行う意思はなく、むしろスペイン領(現在のメキシコ、中米その他を含む広大な地域)と米国の国境線の心配が先に立った。スペインの弱体な軍隊では、周期的に越境して米国領に侵入し、村や農場を襲撃するセミノールインディアンを抑止することもできない状態だった。 1819年時点で、スペインはアメリカ大陸における領土を失いつつあり、西部にも反乱のうわさがあったため、交渉に席につかざるを得ない状況となっていた。ジョージア州内の逃亡黒人奴隷、アウトロー、インディアンなどを相手に戦った第一次セミノール戦争で、米国のアンドリュー・ジャクソン将軍は敵を追って当時スペイン領であったフロリダに進軍した。さらにジャクソンは、米国領へのセミノールインディアンによる越境襲撃に、フロリダ自体が手を貸していると考えられる根拠があるとして、「ネグロ砦」をはじめとするスペインの砦を攻撃して接収した。 東フロリダを本拠とするセミノールインディアンがジョージアの開拓者らを襲撃することを止めさせることと、逃亡奴隷の避難場所を提供することを理由として、米国陸軍は頻繁にスペイン領内に侵攻するようになった。アンドリュー・ジャクソンが指揮を執り戦った第一次セミノール戦争と呼ばれる一連の戦闘もその一環であり、これによりアメリカ合衆国は東フロリダを制圧下に置く事に成功していた。国務長官であるジョン・クインシー・アダムズは「フロリダはもはや見捨てられて、合衆国のあらゆる敵から占領される危機に瀕した状態にあるので、我々がコントロールする必要がある」と述べた。スペインは英国に仲介を依頼したが断られた。当時の大統領であるジェームズ・モンローの閣僚の何人かは、フロリダに勝手に侵攻したジャクソンの即時更迭を主張したが、アダムズはジャクソンの成功が米国の外交にとっては好ましいものであることが分かっていた。交渉は容易に進んだ。
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