1956年の独立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 07:20 UTC 版)
「フランス保護領モロッコ」の記事における「1956年の独立」の解説
1955年後半、ムハンマド5世は、フランスとモロッコの相互依存の枠組みの中で、モロッコの独立を徐々に回復させるための交渉に成功した。スルタンは、モロッコを民主的な政治体制を備えた立憲君主制に変える改革を開始することに合意した。1956年2月、モロッコは制限されていたものの、内政ができるようになった。完全な独立のためのさらなる交渉は、1956年3月2日にパリで署名されたフランスとモロッコの協定で最高潮に達した。その年の4月7日、フランスはモロッコの保護領を正式に放棄した。国際都市タンジールは、1956年10月29日にタンジール議定書(英語版)に署名して再統合された。スペイン保護領の廃止とスペインによるモロッコの独立の承認は別々に交渉され、1956年4月の共同宣言で最終決定された。1956年と1958年のスペインとのこれらの合意により、スペインが支配する特定の地域に対するモロッコの支配が回復したが、軍事行動を通じて他のスペインの領土を主張する試みはあまり成功しなかった。 独立後の数か月で、ムハンマド5世は立憲君主制の下で近代的な政府を構築し、その中でスルタンは積極的な政治的役割を果たした。彼は慎重に行動し、確立された秩序を打倒しようとする、民族主義運動のより過激な部分を許可する意図はなかった。彼はまた、イスティクラル党がその支配を強化し、一党制を確立することを防ぐことに熱心であった。1957年8月、ムハンマド5世が王の称号を獲得した。
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