1956年の出現とは? わかりやすく解説

1956年の出現

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 05:15 UTC 版)

ほうおう座流星群」の記事における「1956年の出現」の解説

1956年12月南極向かいインド洋航行中南極観測船宗谷乗船中の第1次南極越冬隊隊員中村純二によって、世界時1345分ごろから18時ごろにかけて出現観測された。極大世界時16時30分ごろには、1時間あたり300個の流星雨観測された。オーストラリアでも1時間あたり100個の流星観測された。それ以外の年でも小規模な出現記録がある。 1957年には、1819年発見され以来行方不明ブランペイン彗星 (P/1819 W1) に母彗星可能性があると指摘された。2003年に、ブランペイン彗星とほぼ一致する軌道を持つアポロ型小惑星2003 WY25カタリナ・スカイサーベイによって発見され2005年に、同じ天体だとほぼ同定された。これらの軌道から、1819年彗星近日点通過した際に形成されダストトレイル計算すると、1956年突発出現説明できるので、ブランペイン彗星母彗星であることはほぼ確実となった1956年出現時の観測報告では、輻射点はα = 356°、δ = -42.5°付近ほうおう座内のちょうこくしつ座つる座との境界近くとされた。実際輻射点天頂方向十数度ずれたちょうこくしつ座付近であると考えられている。これは、観測者中村純二が小さな早見盤しか持っておらず、見慣れぬ南天星空の中で明るい星が目立ったほうおう座目を引かれたこと、流星群自体低速なため輻射点広く観測されたことなどが原因とされる

※この「1956年の出現」の解説は、「ほうおう座流星群」の解説の一部です。
「1956年の出現」を含む「ほうおう座流星群」の記事については、「ほうおう座流星群」の概要を参照ください。

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