1956年FAカップ決勝
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「バート・トラウトマン」の記事における「1956年FAカップ決勝」の解説
シティは充実した1955-56シーズンのリーグ戦を4位で終え、FAカップでは再び決勝に進出して1956年5月6日にバーミンガム・シティFCと対戦した。このシーズンのトラウトマンは傑出した活躍を見せ、FAカップ決勝の2日前にはキーパーとして初となるFWA年間最優秀選手賞を受賞していた。決勝の舞台は前年と同じくウェンブリーであり、トラウトマンはこの試合で世界的に高い評価を得ることとなる。 前年の決勝では緊張のせいか試合開始早々に失点したが、1956年の決勝でシティの選手は落ち着きを見せていた。この試合で傑出したプレーを見せたレヴィーに影響され、前半の早い段階でジョー・ヘイズが左足でゴールを決め、14分にはバーミンガムに追いつかれた。後半半ばまで1-1の均衡状態が続いたが、ジャック・ダイソンとボビー・ジョンストンが立てつづけにゴールし、シティが3-1とリード。続く10分間はバーミンガムが猛攻撃を行い、75分にはゴール前に飛んできたボールにトラウトマンが飛び込むと、バーミンガムのピーター・マーフィーの右膝がトラウトマンの首に激突した。トラウトマンは足をふらつかせていたが、試合中の選手交代が許されないルールによってそのまま試合が再開された。トラウトマンは残り15分間ゴールネットを守り、再びマーフィーのシュートに決定的なセービングを見せた。シティはそのまま優勝を果たし、試合終盤に幾度ものセーブを記録したトラウトマンがヒーローとなった。トラウトマンは後にこの試合の終盤は「(首の痛みで頭がクラクラして)霧の中にいるようだった」ことを明らかにした。 トラウトマンの首は痛み続け、フィリップ王子は優勝メダルを手渡す際に曲がった首について声をかけた。トラウトマンは満足に頭を動かせないのに試合当日夜の宴会に出席し、休息が傷を癒してくれることを期待して床に就いた。しかし、翌朝になっても痛みは引かなかったため、セント・ジョージ病院に向かい、単に首が痙攣しているにすぎないと診断された。3日後にはセカンドオピニオンを受けるためにマンチェスター王立病院に行ってX線検査を受け、5本の脊椎骨の脱臼と、2番目の脊椎骨に亀裂があることが判明した。3番目の脊椎骨は2番目の脊椎骨に食い込んでおり、トラウトマンの生命に関わる損傷を妨げていた。
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