スペインへの手紙とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > スペインへの手紙の意味・解説 

スペインへの手紙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 10:04 UTC 版)

メアリー (スコットランド女王)」の記事における「スペインへの手紙」の解説

メアリー1567年11月フェリペ2世宛てて自分エリザベス1世あまりにも親しい関係のように思われていて、カトリック司祭を頼む事もできないような有様だが、そんな話を聞いてメアリー女王はもうカトリック信仰を守らなくなったのだなどと考えてもらって困ります。 という内容の手紙を書いている。また、どこまで本気で書いたのかは不明とはいえ1577年には 実子ジェームズカトリック教会復帰する見込みがないので、イングランド王継承フェリペ2世譲渡する。 という遺言状や、1586年5月末にも、当時パリにいたフェリペ2世臣下メンドーサ宛てて 息子ジェームズ自分の死ぬ日までにカトリックならない場合自分イングランド王位継承権フェリペ2世委託する。 という手紙書いている。 この他にもフェリペ2世が、異母弟ドン・フアン・デ・アウストリア軍勢率いさせ、スペイン領ネーデルラントからイングランド侵攻しメアリー救出してドン・フアン結婚させるという計画を、1576年頃に立てていたという説もある。このように最後までフェリペ2世は、同じカトリック君主としてメアリーに対して協力的な態度見られるフェリペ2世このような態度には、フェリペ2世3人目の妻で、メアリーフランス王太子時代義妹かつ幼なじみとして大変に親しかったアンリ2世長女エリザベート・ド・ヴァロワ存在があったと考えられるフェリペ2世は彼女のために舞踏会催したり、朗読家に朗読をさせたり、共に遊んだりするなど、仲の良い夫婦だった。 メアリー1567年9月末に彼女に宛ててフランスで共に育った2人揺るぎない友情にかけて、スペイン援助要請する自分改宗するのような話が流れているのはあくまで見せかけだけの事で、自分決しカトリック信仰捨てるつもりはない。 などという内容の手紙を書き送っている。2人友情お互いに嫁いでからもずっと続いていたらしく、エリザベートはダーンリー暗殺に関してメアリー無実であると夫に訴えていた可能性があると考えられる。なお、エリザベート1568年10月3日死去している。

※この「スペインへの手紙」の解説は、「メアリー (スコットランド女王)」の解説の一部です。
「スペインへの手紙」を含む「メアリー (スコットランド女王)」の記事については、「メアリー (スコットランド女王)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「スペインへの手紙」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「スペインへの手紙」の関連用語

スペインへの手紙のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



スペインへの手紙のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのメアリー (スコットランド女王) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS