第二次セミノール戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/04/25 00:36 UTC 版)
「フロリダ州の歴史」の記事における「第二次セミノール戦争」の解説
こうして第二次セミノール戦争が1835年暮れのデイド虐殺で始まった。この時、セミノール族がブルック砦(タンパ)からキング砦(オカラ)の補強のために行軍していたアメリカ陸軍部隊を待ち伏せした。セミノール族はアメリカ陸軍108名のうち一人を除いて殺すか瀕死の重傷を負わせた。900名から1,500名のセミノール族インディアン戦士が7年の間、アメリカ陸軍に対して沼沢地を舞台にゲリラ戦術を効果的に使った。カリスマ的若き戦闘指導者オセオーラが、1837年の休戦交渉に応じて逮捕され、1年も経たないうちに監獄内で死んだ後、この戦争とセミノール族を象徴するようになった。戦争は1842年まで引き摺った。アメリカ合衆国政府はこの戦争でアメリカ史上初の焦土作戦を採り、2千万ドルから4千万ドルを使ったと推計していて、当時としては天文学的数字である。セミノール族のほとんど全ての者がミシシッピ川の西にあるクリーク族の土地に強制的に追放された。約300名の者がエバーグレーズに留まることを許された。 1845年3月3日、フロリダはアメリカ合衆国第27番目の州に昇格した。初代知事は、1649年にバージニアのローワー・ノーフォーク郡に入植したウィリアム・モーズリーとスザンナ・モーズリー夫妻の子孫、ウィリアム・ダン・モーズリーであった。モーズリー家の子孫は南東部海岸を次第に下ってきていた。 州人口のおよそ半分は綿花や砂糖の大規模プランテーションで働く奴隷化された黒人であった。奴隷の所有者と同様に多くの奴隷はジョージアやカロライナの海岸地域からやってきており、低地帯のガラ・ギーチー文化の一部であった。他にも深南部で奴隷にする貿易業者に売られたアッパーサウスの黒人奴隷がいた。フロリダではあらゆる人々が新しいクレオール文化を創造した。
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