第二次ソロモン海戦、沈没
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 16:37 UTC 版)
「睦月 (駆逐艦)」の記事における「第二次ソロモン海戦、沈没」の解説
詳細は「第二次ソロモン海戦」を参照 8月7日、米軍はガダルカナル島に上陸し、南太平洋で本格的な反攻に転じた。修理を終えた睦月は14日に横須賀を出港、ラバウルに向かった。ガダルカナル島奪回を目指して上陸した陸軍一木支隊の第一挺団が壊滅し、日本海軍は機動部隊で米機動部隊をけん制しつつ、第二挺団の増援でガダルカナル島を奪回する作戦を立てた。しかし連合軍はガダルカナル島ヘンダーソン飛行場を急造して運用を始め、24日の第二次ソロモン海戦で米機動部隊が退避した後も、同島周辺海域の制空権を完全に掌握していた。 同日、睦月と弥生、磯風、陽炎、江風の駆逐艦5隻はガダルカナル島に向かい、午後10時から約10分間、飛行場を砲撃した。陽炎は潜水艦を発見、撃沈したと報告した。5隻は砲撃後に北上し、同島上陸を目指す一木支隊第二挺団と海軍陸戦隊を乗せた輸送船団との合流をめざした。25日午前0時頃、睦月はF4F戦闘機の機銃掃射を受け、乗員3名が負傷した。 25日午前5時40分、睦月など5隻は兵員を載せた輸送船3隻(ぼすとん丸、大福丸、金龍丸)と、護衛する第二水雷戦隊の軽巡神通、駆逐艦海風・涼風、哨戒艇4隻と合流した。直後の6時5分、船団と護衛艦隊はヘンダーソン飛行場から飛来したSBDドーントレス急降下爆撃機8機の奇襲を受け、神通と金龍丸が被弾、炎上した。 戦闘不能になった神通は涼風、陽炎と共に船団から離脱した。磯風、江風、海風、哨戒艇34号・35号は健在の輸送船2隻を護衛し、睦月と弥生は金龍丸の救援を行った。乗員や兵員を弥生と哨戒艇1号・2号に収容し、睦月が金龍丸を雷撃処分した。その直後の8時27分、睦月はB-17爆撃機3機に攻撃され、後部機械室に爆弾1発が命中して火災を起こし、9時40分に沈没した。40名が戦死、11名が負傷した。 同日夜、第八艦隊は第二挺団の上陸中止を決定し、睦月の生存者を乗せた弥生と哨戒艇1号・2号は、27日にラバウルに到着した。10月1日、帝国駆逐艦籍から除籍された。
※この「第二次ソロモン海戦、沈没」の解説は、「睦月 (駆逐艦)」の解説の一部です。
「第二次ソロモン海戦、沈没」を含む「睦月 (駆逐艦)」の記事については、「睦月 (駆逐艦)」の概要を参照ください。
- 第二次ソロモン海戦、沈没のページへのリンク