第二次ソールズベリー侯内閣の蔵相とは? わかりやすく解説

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第二次ソールズベリー侯内閣の蔵相

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/09 14:46 UTC 版)

ランドルフ・チャーチル (1849-1895)」の記事における「第二次ソールズベリー侯内閣の蔵相」の解説

その後、再び政権についたグラッドストン自由党政権アイルランド自治法案めぐって分裂しジョゼフ・チェンバレンらが自由党離党して自由統一党結成した保守党自由統一党連携結果アイルランド自治法否決されグラッドストン議会解散した選挙戦にはランドルフ卿が活躍し辛辣なグラッドストン政権批判展開したその結果1886年7月総選挙英語版)で自由党敗れグラッドストン内閣総辞職8月には自由統一党閣外協力得て第二次ソールズベリー侯爵内閣発足したソールズベリー侯爵党内反対論抑えて総選挙功労者ランドルフ庶民院院内総務大蔵大臣任じた庶民院院内総務地位得たことは事実上次期首相であることを意味していた。 しかしこれにいい気になったランドルフ首相ソールズベリー侯爵軽んじるようになり、独自路線をとることが増えたランドルフ所得税税・たばこ税減税相続税固定資産税増税、また軍事費削減などの緊縮とする予算案作成行ったが、陸軍大臣ウィリアム・ヘンリー・スミスがこれに反発して首相ソールズベリー侯爵仲裁求めたソールズベリー侯爵スミス陸相支持したが、それに反発したランドルフは『タイムズ』紙に辞職の意を表明し、それによってソールズベリー侯爵翻意させようとした。 しかしもともとソールズベリー侯爵にとってランドルフは、自由党チェンバレン対抗するための道具であり、チェンバレン自由党離れて閣外協力となった今、さほど必要のない存在になっていた。党内ランドルフ同調しようという動き見られなかった。そのためソールズベリー侯ランドルフ辞任申し出をあっさりと了承し保守党自由統一党連携強化企図からジョージ・ゴッシェン後任蔵相とした。この人に関してランドルフ自身は「ゴッシェンのことを忘れておったわ」とほぞを噛んだという。 当時37歳であったランドルフ首相目前まで迫りながら、これをもって失脚したランドルフ保守党中枢戻れる日は二度とこなかった。

※この「第二次ソールズベリー侯内閣の蔵相」の解説は、「ランドルフ・チャーチル (1849-1895)」の解説の一部です。
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