第二次ソフトバンク時代
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川﨑は、カブスからの自由契約を機に、日本球界へ6年振りに復帰することを模索。これに対して、川﨑の復帰に際して契約交渉の優先権を有するソフトバンク球団は、他球団より先に川﨑へ再入団を打診した。その結果、2017年3月31日にソフトバンクが川﨑の獲得を発表した。推定年俸9,000万円に出来高の条件を加えた1年契約で、背番号はMLBへの移籍前と同じ52。 復帰直後は、体調やNPBでのブランクなどを考慮しながら、二軍での調整に専念。4月4日には、オリックスとのウエスタン・リーグ公式戦(HAWKSベースボールパーク筑後)に「1番・遊撃手」としてスタメンで復帰後初の公式戦出場を果たすと、1回裏の第1打席で復帰後初安打を放った。4月12日の対阪神戦(阪神鳴尾浜球場)で守屋功輝からNPB復帰後初本塁打を放つなど、同リーグの公式戦では、13試合の出場で打率.441、1本塁打、1二塁打、1三塁打、10盗塁という好成績をマーク。4月28日の対オリックス戦(京セラドーム大阪)に、「1番・二塁手」としてスタメンでパ・リーグの公式戦へ6年振りに出場すると、7回表の第4打席で復帰後初安打を放った。以降の公式戦にも、川﨑のメジャー移籍後から今宮健太が正遊撃手として定着していることなどを背景に、二塁手として出場。5月11日の対オリックス戦(福岡ヤフオク!ドーム)3回裏の第2打席でブランドン・ディクソンから中前安打を放ったことによって、MLB/NPB公式戦通算1500安打を達成した。しかし、両足のアキレス腱に痛みを抱えながらプレーを続けていたことから、治療に専念すべく7月24日に出場選手登録を抹消された。以降はリハビリ組での調整となり、ようやく9月23日のウエスタン・リーグ(対阪神戦)で約2ヵ月振りに実戦復帰し「1番・二塁」で先発出場するが、その初球を先頭打者本塁打した打席の際に左ふくらはぎを攣り、その1打席のみで途中交代した。翌24日には再びリハビリ組での調整となり、クライマックスシリーズ以降のポストシーズンへの出場はならなかった。2017年シーズンは上記の怪我での離脱もあり、42試合の出場にどどまった。また、体調不良を理由にシーズン終了後の優勝祝賀パレードやファンフェスティバルなどの行事には参加しなかった。
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第二次ソフトバンク時代
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2015年11月7日に古巣の福岡ソフトバンクホークスが獲得を発表し、5年ぶりの復帰となった。背番号はかつてと同じ21に決定した。これに伴い、21を着用していた岩嵜翔は背番号が17に変更された。 2016年はオープン戦で3試合に登板し防御率0.00を記録する好調ぶりを見せ、レギュラーシーズンもリーグ4位の157奪三振を記録するなど活躍した。しかし、シーズン終盤の9月23日に左肘痛で抹消。チームはポストシーズンに進出したが、自身の復帰は間に合わなかった。一方で、最終的には15勝5敗・勝率.750で6年ぶりの最多勝利と自身初となる最高勝率のタイトルを獲得した。 2017年は6年ぶり4度目の開幕投手を務め、8回1失点7奪三振で勝利投手となった。しかし、またもや左肘の不調で4月11日に抹消。当初は「大事ではない。1回(先発を)飛ばすだけ。安心してください」と監督の工藤公康が述べるなど軽症を強調していたものの、結局5月22日に「肘頭骨棘切除術」を行い、長期離脱を余儀なくされたが、8月11日の広島東洋カープとの二軍戦で実戦に復帰した。8月27日に福岡ヤフオク!ドームで行われた対千葉ロッテマリーンズ戦において、井口資仁から史上51人目の1500奪三振を記録。6回2安打無失点、9奪三振の圧巻の内容で3勝目を挙げた。シーズンは8試合の登板に留まったが、負けなしの4勝を挙げ、チームの2年ぶりのリーグ優勝に貢献した。ポストシーズンは楽天とのクライマックスシリーズファイナルステージ第3戦と横浜DeNAベイスターズとの日本シリーズ第4戦に先発登板した。ファイナルステージでは敗戦投手とはならなかったが、日本シリーズでは敗戦投手となった。 2018年は左肩痛のため一軍公式戦の登板はなく、二軍公式戦2試合の登板にとどまる。シーズンオフの12月18日に契約更改交渉に臨み、3億円減の年俸1億円プラス出来高払い(金額は推定)でサインした。 2019年の西武とのクライマックスシリーズ・ファイナルステージでは第1戦に先発したが、4回3失点でリードを許した状態で降板した。試合はソフトバンクが逆転勝ちしたため、負けはつかなかった。巨人との日本シリーズでは第4戦に先発、5回無失点と好投し16年ぶりに日本シリーズでの勝利投手となり、チームは日本一となった。 2020年10月27日の対ロッテ戦(福岡PayPayドーム)で先発し、6回無失点と好投し、自身初のリーグ優勝決定試合の勝利投手になった。規定投球回には到達しなかったが、8勝1敗の成績で、チーム内で4番目に多い勝ち星を挙げた。 2021年は開幕ローテーション入りした。4月14日の対オリックス戦(福岡PayPayドーム)でのシーズン3度目の先発で、6回2/3を4安打無失点と抑え、球団史上2人目の40歳以上の先発勝利投手になると、次の登板の同月21日の対楽天戦(福岡PayPayドーム)で球団初の40歳以上の複数勝利投手となった。6月6日(対阪神・甲子園)には7回無失点で勝利投手となり、杉内俊哉が持つ交流戦最多勝利数(26勝)に並んだ。
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