セナトゥスとは? わかりやすく解説

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元老院 (ローマ)

(セナトゥス から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/26 15:13 UTC 版)

元老院(げんろういん、ラテン語: Senātus、セナートゥス)は、古代ローマの統治機関。ラテン語で老人を表わす「senex」からきており、氏族の長が集まることから貴族の代表ともいえる[1]共和政ローマ時代には、事実上の最高意志決定機関であった[2]


  1. ^ 伝統的には、マグナ・グラエキアの捕虜がバックス信仰を伝え、貧民の間に広まったと言われていた[41]
  2. ^ カッシウス・ディオによれば、紀元前61年に定員オーバーしたがそのまま登録されたという[70]
  3. ^ この議事堂は、紀元前52年プブリウス・クロディウス・プルケルが政敵に殺害された際、民衆がその遺体を内部で燃やしたため焼け落ちた[72]
  4. ^ クァエストル経験者が元老院に入った後、レクティオが済むまでどういう資格があったのかは不明[69]
  5. ^ 紀元前70年にケンソルのレクティオで64名が除名されており、そのほとんどがこの新たに登録された者たちであった可能性がある[79][78]
  6. ^ 近年の研究では異説が出ている。詳しくはガッリエヌス#文武官の分離と歴史的意義を参照
  7. ^ 6世紀末のローマ教皇グレゴリウス1世をして「いま元老院はどこにあるのか、市民はどこにいるのか」と嘆かせるほどの荒廃ぶりだった。
  8. ^ 名称は『基本勅令』と翻訳されることもある[89]
  9. ^ ただし、井上浩一は論文「ローマ皇帝からビザンツ皇帝へ」(#笠谷2005p194-5)にてレオン一世の戴冠について述べたくだりで「総主教による戴冠は、それ自体として皇帝を生み出すものとは考えられなかった。総主教は、ある場合には元老院・市民・軍隊の代表者として戴冠し、ある場合には皇帝によって指名された人物を改めて聖別したに過ぎない」としている
  10. ^ 9世紀頃の東ローマ帝国では上から8番目の爵位である「プロートスパタリオス」(筆頭太刀持ちの意)以上が元老院議員身分とされていた(ミシェル・カプラン著 井上浩一監修『黄金のビザンティン帝国』(1993年 創元社「知の再発見」双書28 P46))。この爵位はテマ(軍管区)の長官などの官職を持つ者に与えられていた。
  11. ^ レオーン6世は同時期に古代ローマの市民(デーモス)の存在を否定する勅令も出した[101]。その後にデーモスという語はレオーン6世が編纂させた官職表『クレートロロギオン英語版』によって官職名として再定義された[101]
  12. ^ 10世紀の東ローマ皇帝コンスタンティノス7世が著した『儀式の書』の序文でも「古の慣習は帝国の輝きを比類ないものへと磨き上げるために朕が牧場から集める花のようなものである。それはまた曇りひとつないまでに磨き上げられた光り輝く鏡のようなものであろう。朕はこの鏡を宮殿の中央に置き、皇帝権力にふさわしいもの、元老院制度にふさわしいものを写し出すものとするであろう。」(劇場国家ビザンツ 井上浩一 Archive.isに保存されているアーカイブ 元は大阪市立大学インターネット講座掲載)と書かれており、コンスタンティノポリス元老院の実体が消滅して久しい10世紀になっても東ローマ帝国の制度の根幹に元老院があるという認識は存続していた。また、さらに時代が下った12世紀にコムネノス朝の皇女アンナ・コムネナが父アレクシオス1世コムネノスについて著した歴史書『アレクシアス(アレクシオス1世伝)』でも「元老院」(: σύγκλητος)という用語は使われており、例えば同書の第1巻9章5節では「(父アレクシオス)は皇帝からセヴァストスの爵位を受け取り、元老院の満座の中でセヴァストスと呼ばれたのである」と書かれている(アンナ・コムニニ(コムネナ)、相野洋三訳『アレクシアス』悠書館 2019年)P31。
  1. ^ ブライケン, p. 114.
  2. ^ a b 安井 1998, p. 33.
  3. ^ 岩谷 1, p. 24.
  4. ^ リウィウス, 1.8.
  5. ^ リウィウス, 1.17.
  6. ^ リウィウス, 1.30.
  7. ^ リウィウス, 1.35.
  8. ^ リウィウス, 2.1.
  9. ^ ブライケン, p. 77.
  10. ^ ブライケン, p. 151.
  11. ^ 安井 1998, pp. 37–38.
  12. ^ 安井 1998, p. 41.
  13. ^ ブライケン, p. 115.
  14. ^ 安井 1998, pp. 33–34.
  15. ^ 安井 1998, p. 34.
  16. ^ 安井 1998, pp. 35–36.
  17. ^ 安井 1998, p. 37.
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  20. ^ 鹿野, p. 206.
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  24. ^ a b Taylor&Scott, p. 531.
  25. ^ Taylor&Scott, pp. 532–533.
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  52. ^ 志内, p. 8.
  53. ^ 砂田 2000, p. 2.
  54. ^ 砂田 2000, p. 7.
  55. ^ 井上, pp. 18–40.
  56. ^ 砂田 2000, pp. 12–13.
  57. ^ 砂田 1989, pp. 1330–1334.
  58. ^ 砂田 1989, pp. 1331–1332.
  59. ^ 砂田 1989, p. 1343.
  60. ^ 砂田 1989, p. 1347.
  61. ^ 砂田 1989, pp. 1349–1350.
  62. ^ 砂田 1989, p. 1349.
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  64. ^ Drogula, pp. 448.
  65. ^ ブライケン, pp. 115–116.
  66. ^ Santangelo, pp. 8–9.
  67. ^ Steel CQ, p. 660.
  68. ^ Santangelo, p. 9.
  69. ^ a b c Steel CQ, p. 665.
  70. ^ Dio, 37.46.4.
  71. ^ Santangelo, pp. 9–11.
  72. ^ Sumi, pp. 83–85.
  73. ^ Santangelo, pp. 12–14.
  74. ^ a b Steel CQ, p. 659.
  75. ^ Steel CQ, pp. 665–666.
  76. ^ Steel CQ, pp. 658–659.
  77. ^ Steel CQ, p. 664.
  78. ^ a b Steel CQ, p. 666.
  79. ^ Santangelo, p. 12.
  80. ^ Steel CQ, pp. 666–667.
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  82. ^ Dio, 52.42.
  83. ^ Dio, 54.13.
  84. ^ Taylor&Scott, p. 532.
  85. ^ a b Taylor&Scott, p. 577.
  86. ^ Taylor&Scott, p. 572.
  87. ^ Taylor&Scott, p. 539.
  88. ^ 井上文則 『軍人皇帝時代の研究 ローマ帝国の変容』 151~158頁、岩波書店、2008年 ISBN 978-4-00-022622-6
  89. ^ a b c d 「ローマ」『世界歴史大事典』教育出版
  90. ^ a b c 「元老院」『世界史事典』評論社、2001年。ISBN 4566049515
  91. ^ a b 長谷川・樋脇2004、p.81。
  92. ^ [ローマ史]『ブリタニカ国際大百科事典』第2版、TBSブリタニカ、1993年。
  93. ^ 尚樹1999、p.56。
  94. ^ a b 尚樹1999、p.57。
  95. ^ 尚樹1999、pp.57-60。
  96. ^ オストロゴルスキー2001、p.85。
  97. ^ 尚樹1999、p.51。
  98. ^ オストロゴルスキー2001、p.153。
  99. ^ a b オストロゴルスキー2001、p.318。
  100. ^ a b 尚樹1999、p.441。
  101. ^ a b 井上2009p72、p.72。


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