プブリウス・コルネリウス・スキピオ・ナシカ・セラピオとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > プブリウス・コルネリウス・スキピオ・ナシカ・セラピオの意味・解説 

プブリウス・コルネリウス・スキピオ・ナシカ・セラピオ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/06/22 08:30 UTC 版)


プブリウス・コルネリウス・スキピオ・ナシカ・セラピオ
P. Cornelius P. f. P. n. Scipio Nasica Serapio
出生 紀元前183年頃
死没 紀元前132年
出身階級 パトリキ
一族 スキピオ家
氏族 コルネリウス氏族
官職 トリブヌス・ミリトゥム(紀元前149年)
法務官(紀元前141年)
最高神祇官(紀元前141年頃-132年)
執政官(紀元前138年)
レガトゥス(紀元前132年)
テンプレートを表示

プブリウス・コルネリウス・スキピオ・ナシカ・セラピオ(ラテン語: Publius Cornelius Scipio Nasica Serapio, 紀元前183年頃 - 紀元前132年)は、共和政ローマの政治家、軍人。元老院議員であり、紀元前138年に執政官をつとめた。一般にはスキピオ・ナシカ(Scipio Nasica)として知られる。

一族

名門スキピオ家の出で、グラックス兄弟とは従兄弟にあたる。

父方

母方

略歴

スキピオ・ナシカはポエニ戦争後、ローマ社会が疲弊する中でも古来の元老院の権威を保持しようとした保守派に属し、ティベリウス・グラックスの進めたセンプロニウス法案に反対する立場、すなわちティベリウスの政敵の中心人物であった。

また彼は恐らくティベリウスの殺害に関わったか、少なくともティベリウス殺害のきっかけを作った人間として考えられている。ティベリウスが報復のために殺された時に、彼はローマ社会の権威秩序を護るはずの最高神祇官であるにもかかわらず、元老院から偽装のためにアシア属州への視察に出かけ、見殺しにしたという。その際に彼は「ティベリウスは王となろうとしたのだ」と言ったと伝えられる。

ティベリウスが殺された後、暴動を見逃したことから民衆の怒りを買い、自発的に国外退去する。そしてすぐにペルガモンにて没した。

関連項目

公職
先代
グナエウス・カルプルニウス・ピソ
マルクス・ポピッリウス・ラエナス
執政官
同僚:デキムス・ユニウス・ブルトゥス・カッライクス
紀元前138年
次代
マルクス・アエミリウス・レピドゥス・ポルキナ
ガイウス・ホスティリウス・マンキヌス
宗教の称号
先代
プブリウス・コルネリウス・スキピオ・ナシカ・コルクルム
ローマの最高神祇官
紀元前141年 – 紀元前132年
次代
プブリウス・リキニウス・クラッスス・ディウェス・ムキアヌス



英和和英テキスト翻訳

英語⇒日本語日本語⇒英語

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「プブリウス・コルネリウス・スキピオ・ナシカ・セラピオ」の関連用語

プブリウス・コルネリウス・スキピオ・ナシカ・セラピオのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



プブリウス・コルネリウス・スキピオ・ナシカ・セラピオのページの著作権

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのプブリウス・コルネリウス・スキピオ・ナシカ・セラピオ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2026 GRAS Group, Inc.RSS