ケニヤ独立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/04 00:26 UTC 版)
リーキー夫妻がヴィクトリア湖にいる間、キクユ族はヨーロッパ移民と対立を深めていた。移民のほうが優勢で、彼らは「白い」アフリカの「白人の」政府を要求していた。100万人のキクユ族は3万人の移民に悩まされていた。1949年にキクユ族はマウマウ団を作り、移民と体制派のキクユ族を攻撃した。リーキーは植民地政府のフィリップ・ミッチェルに警告したが無視された。この出来事の間、リーキーの命は危険にさらされ、ピストルを持ち歩くようになり、ケニヤ政府は24時間の警備の元に彼を置いた。1952年に政府がジョモ・ケニヤッタを逮捕するとリーキーは裁判で通訳をつとめた。しかし被告への偏見に基づく誤訳が指摘されて通訳を退いた。政府はイギリス軍を呼び込み2万人のキクユ義勇兵を組織した。リーキーは移民に味方した。スポークスマンと情報将校となり、ゲリラの発見を助けた。一方で、著作と執筆活動、会談を通してキクユ族を擁護した。多民族政府、農地改革、キクユ族の収入の底上げやさまざまな改革を提案し、最終的にそのほとんどが採用された。この提案の後で多くのキクユ人が教育キャンプに入れられ、新しい村に移住した。反乱は1956年まで続き、非常事態は1960年まで継続された。1963年にケニヤッタを首相としてケニヤは独立した。 1951年にリーキー夫妻はオルドヴァイで道具を発見した。1952年にはより広範な発掘が行われ、オルドヴァイ屠殺場(動物が追い込まれて大量に殺された古代の沼)と呼んだ遺跡が発見された。彼らは1953年に一度発掘を止め、1955年から再び、ジーン・ブラウンとともに掘り始めた。1959年にメアリーはジンジャントロプスを発見した。問題はそれがロバート・ブルームによって発見されたパラントロプスより前か後か、人間の系統に連なるかどうかであった。1960年に地球物理学者ジャック・エバンデンとガーニス・カーティスはこれを175万年前の物と判断した。これは想像より遥かに古く、世界中が驚いた。科学者はアフリカに群がった。リーキーとレックの正当性は完全に証明されたが、レックはすでに1937年に死去しておりそれを知ることはなかった。リーキーはまた、ダーウィンが正しかったことも証明した。 リーキーは博物館のために週末以外に離れることができず、1960年にオルドヴァイの発掘責任者にメアリーを任命した。メアリーは19歳の息子ジョナサンとともにキャンプを設置した。メアリーは自分自身のスタッフをそろえ、リーキーとはラジオで連絡を取り合った。彼は週末には高速でナイロビとオルドヴァイの間の500kmを行き来した。まだ10代前半だった他の息子リチャードとフィリップは長期休暇の時だけ発掘場を訪れた。リーキーは息子たちとイーブン・ドュボアに、生のネズミを食べて便を古人類の糞石と比較しようと誘った。彼はドュボアに「愛する息子よ、あなたを有名にさせてください」と言ったが、ドュボアと息子たちはネズミを食べることに異議を唱えた。夕食客は頻繁に訪れ、長いときには数週間滞在した。客の他に彼らは20人のアフリカ人のスタッフとダルメシアン、ハイラックス、サル、カコミスル、アフリカワシミミズク、熱帯魚、ガラガラヘビ、パイソンに囲まれていた。 リーキーが古人類学から手を引く前に、ジョナサンはちょっとした名声を獲得した。彼は自分自身の採掘場所を見つけ、アウストラロピテクスの矢状突起のない二つの頭骨片を発見した。メアリーはそれをブルームとロビンソンのテラントロプスと結び付けた。問題はジンジャントロプスとの時代関係であった。手紙で写真を受け取ったル・グロ・クラークはピルトダウン人との関係をほのめかした。リーキーはすぐに返信し、いくらかのやりとりの後でクラークは謝罪した。1960年にリーキーと息子のフィリップ、レイ・ピッカーリングはシェランマンと彼らが呼んだ、オルドヴァイの道具と関連した新たな化石を発見した。その後それはホモ・エレクトゥスに含まれたが、パラントロプスと同時代の物であった。長い間、リーキーはエレクトゥスが道具を使用していたが、アウストラロピテクスはそうではないと考えていた(現在ではどちらも道具を使っていたと考えられている)。1961年にリーキーはナショナルジオグラフィックから補助金と給与を受け取り、コリンドン博物館の役職を部下に譲った。そして敷地内に先史時代と古生物に関するセンターを作り、自分のコレクションを移して責任者に就任した。彼はまた、ヴィクトリア湖の近くで新たな発掘地を見つけた。そしてまもなく、ヘゼロンはケニヤンピテクスを発見した。リーキーはちょうど滞在していたG.G.シンプソンとともにその発見を祝った。 1962年にオルドヴァイの、ホモ・ハビリスの最初の歯が発見された採掘場を訪れた。フィリップ・トバイアスはそれとジョナサンの発見をレイモンド・ダートのホモ・ハビリスであると確認した。そしてそれはホモ属とアウストラロピテクス属の中間種と見なされた。
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