ギザのピラミッド群
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/21 23:00 UTC 版)
「メンフィスとその墓地遺跡」の記事における「ギザのピラミッド群」の解説
スネフェルの次の王であるクフはギザに王墓の地を移し、ギザの大ピラミッド(クフ王のピラミッド)を築かせた。このピラミッドはエジプトのピラミッドの中でもっとも巨大かつ美しいピラミッドとして知られており、建設時には146m(現在は頂上が欠落したため137m)の高さを誇り、3000年以上にわたって世界で最も高い建造物となっていた。ピラミッド中で最も著名なものであり、紀元前2世紀にビザンチウムのフィロンによって選ばれた世界の七不思議のうちのひとつであり、また唯一現存する建造物である。それまで王墓の地となっていなかったギザをクフがピラミッド建設の地に選んだのは、地盤が安定しており巨大ピラミッドの建設に耐えられたこと、および部材である質の高い石灰岩が近隣に大量に産出しており、それを利用することで建設が容易になることを計算したことが挙げられる。クフ王のピラミッドの東西にはそれぞれ墓地が建設されており、また東側には南北に3基の小型のピラミッドが並んでいる。このピラミッド群とクフ王のピラミッドの間には小型のピラミッドが一つ建設されており、衛星ピラミッドと呼ばれている。このピラミッドは本体の5分の1の大きさで本体に存在する構造をすべて兼ね備えているため、本体を建設する前に実験的に作られた模型のようなものであると考えられている。 クフの2代後の王であるカフラー王も同じくギザにカフラー王のピラミッドを建設した。このピラミッドは建設時には144mの高さを誇った2番目に高いピラミッドであり、またピラミッド建設当時には多くのものに施されていたとされる石灰岩の化粧石が頂上付近に残っている。また、カフラー王のピラミッドの入り口にギザの大スフィンクスを建造させたのもこの王であるというのが定説となっている。ギザの大スフィンクスはそのままスフィンクスと通称され、もともとそこにあった岩山を掘り下げて建造された彫像である。一枚岩からの掘り出しとしては今なお世界で最も大きな石像である。スフィンクスはカフラー王のピラミッドへの参道の入り口に建設されているため、カフラー王のピラミッド複合体の一部であると考えられることもあるが、スフィンクスを備えたピラミッドはほかに存在せず、それ以外のピラミッドの共通要素をカフラー王のピラミッドはすべて備えているため、スフィンクスとピラミッドの間には大きな関係がないとの学説も存在する。 カフラーの次の王であるメンカウラー王もギザにメンカウラー王のピラミッドを建設した。このピラミッドはクフ王およびカフラー王のピラミッドに隣接して建設され、この3つのピラミッドを合わせて三大ピラミッドと称する。ただしメンカウラー王のピラミッドは他の二つに比べて高さが約半分であり、やや小さなものとなっている。ただしピラミッド本体以外のピラミッド遺跡群の必要要素はすべて備えており、その規模も小さなものではない。
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ギザのピラミッド群
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「古代エジプト建築」の記事における「ギザのピラミッド群」の解説
詳細は「メンフィスとその墓地遺跡」を参照 ギザの共同墓地はエジプトの首都カイロの郊外にあるギザ台地の上にある。この古代の遺構の一群はカイロの中心街から20kmほど南西のナイル川のほとりにあるギザの旧市街から8kmほど砂漠に入ったところにある。この古代エジプトの共同墓地はギザの大ピラミッド、カフラー王のピラミッド、比較的小さめなメンカウラー王のピラミッド、そしてそれらに付随する、王妃のピラミッドとして知られるたくさんの建築物、スフィンクスで構成されている。 エジプト第4王朝期に建てられたピラミッドは王への信仰と権威を強調するためのものであった。それらのピラミッドは墓所、そしてファラオの名前を人々の記憶に永遠にとどめておくために建造された。[要ページ番号] その大きさと簡素なデザインはエジプトのデザインと大規模なものに対する工学の技術の高さを示している。[要ページ番号] 紀元前2580年に完成したと言われるギザの大ピラミッドはピラミッドの中で最も古く最も巨大なものであるが、世界の七不思議の中で唯一現存するものでもある。カフラー王のピラミッドはカフラー王の治世末期である紀元前2532年頃にできたとされており、 カフラー王は先祖のピラミッドの隣に自分のピラミッドを建てることに執念を燃やした。彼のピラミッドは彼の父のものほどには高くなかったものの、ピラミッドの基礎を約10m父のものより高い場所に作ったことにより彼のピラミッドの方が高いような印象を与えることができた。ピラミッドを建てるにあたって、カフラーは墓所の守護者として大きなスフィンクスを造らせた。ファラオを想起させる人間の顔にライオンの体というデザインは神性を表す象徴として500年後のギリシャ国家で見られるものである。[要ページ番号] スフィンクスは砂岩の巨大なブロックを彫って造られたもので、高さは約20mある。[要ページ番号] メンカウラー王のピラミッドは紀元前2490年前後に建てられたものでその高さは3大ピラミッドの中では最も小さい約65mである。 大衆文化の影響で人々はピラミッドの内部は盗掘対策のために多数のトンネルがはりめぐらされており、かなり複雑な構造をしていると信じているが、その認識は実際の事実とは異なる。ピラミッド内の通路は極めて単純なもので、多くは石室に直接通じている。ピラミッドはあまりにも大きかったため、内部に巨万の財宝が眠っているだろうと盗掘者たちを惹きつけてしまい、いくつかのピラミッドは封印されてから比較的早い時期に盗掘の被害を受けている。[要ページ番号] 時にはピラミッド内に追加のトンネルがあることもあるが、これは建設工事者がどの程度の距離まで地殻を掘って墓所を造ることができるかを把握するためのものである。また、盗掘者たちのせいで、クフ王、カフラー王、メンカウラー王以後の王たちは知られぬまま王家の谷に葬られていると信じられていることがあるが、これはもちろん誤りである。ピラミッド建設は小規模になっただけでその後の多くの王朝で行われていた。最終的にピラミッド建設は盗掘ではなく経済的な原因により止められた。 ピラミッド建設は奴隷たちの労働によってできたと広く考えられている。一部の学者は建設を支えた労働者の多くは農閑期の農夫たちであったと考えている。すなわち、ピラミッド建設とは公共事業だったという考え方である。[要ページ番号] いずれにせよ、ピラミッド建設は奴隷労働なしでは成り立たなかった貴族の生活様式を象徴するものである。[要ページ番号]
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