アダルトビデオの誕生と萌芽とは? わかりやすく解説

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アダルトビデオの誕生と萌芽

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 12:49 UTC 版)

アダルトビデオの歴史」の記事における「アダルトビデオの誕生と萌芽」の解説

1975年ベータマックス(ソニー)が、1976年VHSビクター)が発売されると、1981年5月日本ビデオ映像から『ビニ本の女・秘奥覗き』と『OLワレメ白書熟した秘園』が発売された。これがアダルトビデオ第1号と言われている(当時ポルノビデオ呼称された)。この作品日本初めビデオ撮りされたポルノ映像で、それ以前劇場公開型のポルノ映画とは異なるまったく新しい独自の流通目指し新商品として製作され作品であった1981年一般家庭へのビデオデッキ普及率10%突破すると、次第アダルトビデオ普及し始め映画用フィルムカメラ用いた大がかり撮影システム必要なく、重量20kg程度ビデオカメラ開発されると、参入障壁低さから制作参入する小企業出現した。 このポルノ作品業界大きな波紋広げ1981年7月にっかつビデオフィルムズは『生撮りシリーズ』を刊行同年11月愛染恭子の『愛染恭子本番撮り 淫欲のうずき』が発売され、「本番」という演出法が男性刺激し、2本を超える大ヒット記録した。この作品ビデオ作家として確たる評価得た監督代々木忠は、1982年8月には『ドキュメント ザ・オナニー』シリーズ刊行従来ビデオ撮りという手法用いているもののそれまでポルノ映画演出法を引継いだ劇映画調の作品からの訣別図った上記シリーズ1981年ビニ本業界大手ハミング社がビデオ部門として設立した宇宙企画ビデオと共に、後のアダルトビデオ業界方向性決定付けたとも言われており、『ビデオ・ザ・ワールド』(1985年4月号)において中村正平は「お手軽ポルノドラマが全盛だったご時勢宇宙企画出した素人撮りシリーズは"動くビニ本"といった趣を持つビデオとしてのメディア覚醒した画期的なもので、ポルノビデオ方向性決定付けた。このインタビューオナニー形式代々木忠の『ドキュメント ザ・オナニー』シリーズ完成され空前セールスをあげた。」と評している。1982年の『ドキュメント ザ・オナニー』シリーズ第一弾主婦斎藤京子場合』が8本のセールス記録し、アダルトビデオブームが起こり1983年のビデオカタログには、90社ものAVメーカー掲載された。また、当時一部ラブホテルではビデオカメラビデオデッキ設置した客室があり、カップルが自ら撮影したものを観賞して楽しむことができたため、その映像流通することもあった。 中でも後のアダルトビデオという造語創出し小路谷秀樹宇宙企画初期人気作品多数作り上げた監督一人で、1982年の『女子高生素人撮りシリーズ 美知子恥じらいノート』や『SM体験 早見純子の場合』『実験SEXデート』などの作品世に送り出してヒットさせ、アダルトビデオ市場は「ドキュメントもの」と呼ばれる作品大半占めるように。 当時自主規制機関ある日ビデオ倫理協会は、3分以上の連続した性交描写許可しておらず、ハードコア表現規制していた。こうした背景と、ビデオデッキ普及から裏ビデオ呼ばれる作品ブーム巻き起こすこうしたビデオ家電量販店ビデオデッキ購入景品として出回り、『洗濯屋ケンちゃん』や田口ゆかりの『サムライの娘』『ザ・キモノ』などの作品多く庶民の手渡った表ビデオ業界それまでドキュメントものソフトコアでは対抗できない危機感募らせる中、宇宙企画発売したミス本番 裕美子19歳』(1983年)は、業界衝撃与えたそれまで表ビデオ作品も本番を謳うものは存在していたが、旬を過ぎたワンランク下のモデル担当するジャンルであり、キワモノ的な扱いだった。ソフトヌードで充分通用するレベルモデルが、いきなりハードコアデビューするという、常識覆した作品であったミス本番 裕美子19歳』は2本を超えるセールス記録。『ミス本番シリーズとして宇宙企画におけるトップブランドに君臨したその後小路谷秀樹の『私を女優にしてください「何でもやります竹下ゆかり19歳』、『ミス本番 有希子めぐり逢い』(1984年)などのヒットにより、女優清潔感セールスの上での重要な演出点であることが確立されると、本番有無よりも女優としての質にこだわり見られるようになり、1984年末から1985年にかけて、第一次美少女ブーム呼ばれる時代訪れた渡瀬ミク早川愛美永井陽子杉原光輪子森田水絵中沢慶子などの人気モデル加えいわゆる本番をしない小林ひとみ麻生澪秋元ともみなどの女優誕生した。『ミス本番』で開放的なセックス演じた吉沢有希子早見瞳改名後本番拒否し、『GORO』のインタビューにおいて、「そういうこと自分好きな人とだけがいいと思います。」と述べている。 「美少女本番行為をする」という起爆剤以って一般に広く認知されアダルトビデオは、「美少女」要素のみを拡大させて行った。やがて「擬似本番」という言葉とともに直接性行為からリアルな感情引き出演出法は衰退。「アダルトビデオ演技をする人」いわゆるAV女優という言葉生み出した

※この「アダルトビデオの誕生と萌芽」の解説は、「アダルトビデオの歴史」の解説の一部です。
「アダルトビデオの誕生と萌芽」を含む「アダルトビデオの歴史」の記事については、「アダルトビデオの歴史」の概要を参照ください。

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