アウトバーンのヒット・最初の全盛期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 06:31 UTC 版)
「クラフトワーク」の記事における「アウトバーンのヒット・最初の全盛期」の解説
初期の活動で得られた資金を投入し手に入れたミニモーグを使用し、新メンバーヴォルフガング・フリューアは自作の電子パーカッション等を駆使し、以前の音楽を新たなる次元に昇華させた1974年発表の4枚目のアルバム『アウトバーン』が英米でヒット。とりわけ同名のシングル曲はそれまでの多くのミュージシャンがシンセサイザーを観念・瞑想的な音楽に使用したり楽曲の添え物として使用していた方法とは大きく異なり、全長20分を越し部分的には幾分瞑想的ではあるが即物的でありながらもあくまでもそれ自体を主体としたポップ・ミュージックという手法による一つの完成型と言えるものとなった。フローリアンの知人の音楽学校教授の生徒であり、クラシック畑の様々な仕事をこなしていたカール・バルトスも加わりアメリカ横断ツアーも行われた(カール自身の言でもあるが以後のクラフトワークの楽曲の主な特徴としてファンキーなリズム、ミュジーク・コンクレート、ポップ・ミュージックのミックスが挙げられる)。 英国でも行われた当時のライヴ演奏の後 興奮の余り楽屋に訪れたという若き日のオーケストラル・マヌーヴァーズ・イン・ザ・ダーク等、初期のクラフトワークの他のグループへの影響以上に知られていることだが主にエレ・ポップ、シンセ・ポップとしてのニュー・ウェイヴやニューロマンティックと呼ばれるミュージシャン達にも大きな影響を与えた。独創的なステージングも注目され、当時からクラフトワークの熱狂的なファンであり、後に彼らと親交を持ちスタジオ・ワークによる創造的絶頂をベルリン三部作で迎えたデビッド・ボウイがコンサートの最前列席を買い占めたことや、イアン・カーティスが愛好していたことがジョイ・ディヴィジョンの使用機材や後のニュー・オーダーの音楽性に影響を与えたことなども知られている。 既に自らのスタジオKLING KLANGを構えており、初期の頃からの協力者であったコニー・プランクから独立したクラフトワークは自らの成功によって経験した出来事等にインスピレーションを得た作品を次々と発表する(例えば自分たちの音楽がラジオで流されたことやインタビューを自身に似せたロボットに受けさせるという空想等々)。特に翌年に発表された5枚目のアルバム『放射能』(独: Radio-Aktivität、英: Radio-Activity)以降、彼らのほぼ全てのアルバムは作品毎に何らかのコンセプトをヴィジュアルと合わせて提示しているのが特徴であり、感情を感じさせない無機的で禁欲的な謎めいた印象も彼らの意図した通りに確立された。これは同時期に興っていたパンク・ムーヴメントへのアンチテーゼであるとも言われ、また衝動的なパンクと大作主義的なプログレの中間であると考える者もいる。 ヴィジュアルや歌詞等のイメージに関してはアウトバーン以前からのステージには出ないメンバーであった詩人で画家のエーミール・シュルトの貢献は大きく、当時のヴィジュアル・コンセプトには表現主義や大戦によって中断された1930年代のドイツ・モダニズムやエル・リシツキー等ロシア構成主義を意識したものなどがある。アルバム『人間解体』では赤と黒を基調としたイメージがナチズムを連想させながらも東側を向いていることや楽曲『コンピューター・ワールド』に於ける歌詞などが政治的にも多様なものと捉えられた 。尚後年のラルフを筆頭にしたサイクリングへの高い関心もスタミナのあったエーミールに教えられたことがきっかけであった。 作品発表のペースからしても@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}一般的には1980年代初頭にかけてが彼らの最初の全盛期と見なされている[要検証 – ノート]。現在に至るまでのライヴの定番曲の多くもこの時期に生み出されたものである。 日本では1978年発表の7作目のアルバム『人間解体』によってディーヴォとともにテクノポップを成立させるきっかけとなり、イエロー・マジック・オーケストラに於いてはアウトバーン以前の頃から関心を持っていた坂本龍一による他のメンバーへの紹介により結成当初のコンセプトに影響を与えることとなる。 セックス・ピストルズのジョン・ライドンはクラフトワークのファンである事を公言しており、特にパブリック・イメージ・リミテッド結成当初はクラフトワークから受けた影響を覗かせている。テレックスのダン・ラックスマンは、最初にクラフトワークのアナログシンセサイザーによるドラムの音に惹かれたと語り、デビュー以前に『人間解体』に衝撃を受け、彼らに一目置いていたU2のボノは2011年に公開されたドキュメンタリー映画フロム・ザ・スカイ・ダウン(英語版)で彼らの方向転換的大作として知られるアルバムアクトン・ベイビーの制作当時、クラフトワークからの影響があったと明し、ジ・エッジは「リズムを学ぶ上で彼らは無視できない」と発言した。1981年の8作目のアルバム『コンピューター・ワールド』の発表に伴い、頭にターバンを巻いた観客達をも熱狂させたインド公演等を含む初の大規模なワールド・ツアーを敢行する(初来日公演も果たす)。
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