「強豪」と「無冠の帝王」とは? わかりやすく解説

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「強豪」と「無冠の帝王」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 09:31 UTC 版)

パンクブーブー」の記事における「「強豪」と「無冠の帝王」」の解説

2003年度初挑戦年) 初挑戦直後オンエアバトル特集した雑誌にて2人は「新星」として紹介されているが、その中では「今後目標は(今回好成績が)まぐれ、って言われないように頑張ること」と語っている。その言葉実証するかのように2人その後トントン拍子に高得点連発番組初の3回連続オーバー500同時に番組タイ記録となる初挑戦から3戦連続トップ通過記録)を成し遂げるが、4回目挑戦でオフエア。5回目挑戦で再びオーバー500獲得して番組初の4回のオンエア全てオーバー500という記録達成年間合計キロバトル数は2084KBとなり「年間獲得キロバトル」の歴代最高を記録(この記録番組終了まで破られなかった)、初登場年にて年間ランキング1位に輝くという大偉業成し遂げたが、チャンピオン大会セミファイナルで6位敗退となった2004年度 その後安定した実力で高得点重ね名実共にオンエアバトル新たなる強豪となる。この年行われた第7回チャンピオン大会にも順当にエントリー去年敗退したセミファイナルを1000KBオーバー(1010KB獲得)で1位通過チャンピオンへの期待が高まるなかファイナルへ臨むが、その大会で披露した電車車掌」は今までネタとは一線を画する『北斗の拳』モチーフにした破天荒なネタで(ネタ飛石連休被った影響もあるものの)、362KBという低得点叩き出しファイナル最下位記録してしまった。本人たちも出番終了後コメント観客視聴者に対して謝罪している。オンエアバトルDVD内での2人の談によれば、とても賞レース向けとは思えないそのネタ当時マネージャーからは「お前らオンバト出たくないのか!?」と激怒されたという。また、雑誌インタビューでも黒瀬は「いろんな人からクソみたいに怒られた」とも語っている。 これについては2004年5月号でのお笑いタイフーンインタビューで、「言われるのは点数ばかりでネタ覚えてもらえない」「あのまま高得点とり続けても、何も変わらないと思う」「(これからは)僕ら本当に面白いと思う部分をいろいろ試していかないと(芸人として)突破できない」「だから今年オンバト落ちるかもしれないが、それでも構わない」などと話していた。また、ファイナル行ったら1位を狙わず、何それ?っていうようなバカコントをやりたい」「今までと違う、スベッてたけど印象残った、っていうのをやりたい。それが実はオンバト1回目受かったときからの目標だった」と明かしており、また後に発売され爆笑オンエアバトル公式本7のインタビュー佐藤は「その時目立ってやろうと考えてた」とコメントしている。 この年の彼らは上記の「車掌ネタ」の他にも通常回で度々挑戦的なネタ演じてきており、6月19日放送され岡山県収録では番組内初めコント披露しオンエア獲得したちなみに結果は469KBで、彼らにとって400KB台では初のオンエアであったまた、11月27日放送され北海道北見市収録では最初に漫才入ってから途中でショートコント切り替わるというかなり異色ネタオチ滅茶苦茶だった)を披露するも、こちらもオンエア獲得していた。このネタ上記の「車掌ネタ」程ではないが、各方面から非難浴びたという。10月2日放送漫才お化け屋敷」を披露していた時に黒瀬自身が「もうすっかり夏じゃないですか…」と発言して季節外れ甚だし内容になってしまうという珍事起きた2005年度 ネタ方向性変化もあり(初期勢いある漫才から、現在の正統派漫才への過渡期だった)、オフエアこそならなかったものの獲得KB大きく減った佐藤格好から「ピンクはげ時代」とも呼ばれている。この年M-1グランプリ予選3回戦進出終わっている。愛・地球博行われた収録では389KBでのオンエア自身最低KBでのオンエア記録作ってしまい、この年度はオーバー5001回しか取れず年間ランキングギリギリ20であった本当井上マー同率20であったが、年間最高KB唯一のオーバー500だったおかげで出場できた(年間最高KBの差のせいで出場できなかった井上マー2008年度3年越し出場果たしている)。チャンピオン大会セミファイナルでは6位敗退2006年度 2006年3月第8回チャンピオン大会終了後1年以上出場がなかった。この空白時期においては詳細不明であるが、雑誌インタビューのなかで「2006-2007年本当にヤバかった」「(なかなか売れない苛立ちから)廃業移籍考えた」と語っている(月刊エンターテイメント3月号より)。 2007年度 その後2007年6月復帰しオーバー500獲得その後も高得点で3連勝飾ったチャンピオン大会出場ラインである4勝目賭けた戦いで未勝利アルコ&ピース抜かれてしまいオフエア。連勝11止まったばかりか、4勝目獲得できずチャンピオン大会出場逃がしたパンクブーブーがオフエアとなったのは2004年1月23日以来、約4年ぶりとなる。 2008年度 それでも翌年度リベンジを果たすと高得点続け2008年11月13日放送オーバー500獲得回数10回となり、アンジャッシュ上回り番組歴単独1位となった番組終了時点唯一のオーバー500回数2獲得した芸人である(2位タイムマシーン3号の9回)。 この年チャンピオン大会進出セミファイナルを1000KBオーバー(1018KB獲得)で通過しファイナル進出する結果は4位だった。ただ、この時に披露した電気店へのクレーム」「陶芸家弟子入り」は、約1年後に臨むことになるM-1グランプリ2009披露した2ネタベースになったのである故にM-1優勝へと繋ぐ敗戦だったという見方もある。 2009年度 番組システム変わったこの年度は7月長野県東御市収録された第4戦に出場。517KBという高得点獲得するしんのすけとシャン敗れチャンピオン大会出場は叶わなかった。しかし視聴者投票で1位に選ばれ視聴者投票1位バトル進出M-1グランプリファーストステージと同じ「近隣住民クレーム」を披露した結局4位敗退この年3連覇果たしたトータルテンボス番組ホームページインタビューで「本当パンクブーブー戦って倒したかった」と語っている。 その直後刊行され爆笑オンエアバトル公式本12内で、番組からの卒業発表。約7年に及ぶ番組での活動幕を閉じた。この7年間という活動期間強豪挑戦者としては屈指の長さで(当番組は売れれば卒業できるシステムであるため)、実力高かった番組外ではなかなか評価されてこなかったという証でもある。

※この「「強豪」と「無冠の帝王」」の解説は、「パンクブーブー」の解説の一部です。
「「強豪」と「無冠の帝王」」を含む「パンクブーブー」の記事については、「パンクブーブー」の概要を参照ください。

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