「強豪」と「無冠の帝王」
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「パンクブーブー」の記事における「「強豪」と「無冠の帝王」」の解説
2003年度(初挑戦年) 初挑戦直後、オンエアバトルを特集した雑誌にて2人は「新星」として紹介されているが、その中では「今後の目標は(今回の好成績が)まぐれ、って言われないように頑張ること」と語っている。その言葉を実証するかのように2人はその後もトントン拍子に高得点を連発、番組初の3回連続オーバー500(同時に番組タイ記録となる初挑戦から3戦連続トップ通過も記録)を成し遂げるが、4回目の挑戦でオフエア。5回目の挑戦で再びオーバー500を獲得して番組初の4回のオンエア全てがオーバー500という記録を達成。年間合計キロバトル数は2084KBとなり「年間獲得キロバトル」の歴代最高を記録(この記録は番組終了まで破られなかった)、初登場年にて年間ランキング1位に輝くという大偉業も成し遂げたが、チャンピオン大会はセミファイナルで6位敗退となった。 2004年度 その後も安定した実力で高得点を重ね、名実共にオンエアバトルの新たなる強豪となる。この年行われた第7回チャンピオン大会にも順当にエントリー、去年敗退したセミファイナルを1000KBオーバー(1010KB獲得)で1位通過。チャンピオンへの期待が高まるなかファイナルへ臨むが、その大会で披露した「電車の車掌」は今までのネタとは一線を画する『北斗の拳』をモチーフにした破天荒なネタで(ネタが飛石連休と被った影響もあるものの)、362KBという低得点を叩き出しファイナル最下位を記録してしまった。本人たちも出番終了後のコメントで観客・視聴者に対して謝罪している。オンエアバトルDVD内での2人の談によれば、とても賞レース向けとは思えないそのネタに当時のマネージャーからは「お前らオンバト出たくないのか!?」と激怒されたという。また、雑誌のインタビューでも黒瀬は「いろんな人からクソみたいに怒られた」とも語っている。 これについては2004年5月号でのお笑いタイフーンのインタビューで、「言われるのは点数ばかりでネタを覚えてもらえない」「あのまま高得点とり続けても、何も変わらないと思う」「(これからは)僕らが本当に面白いと思う部分をいろいろ試していかないと(芸人として)突破できない」「だから今年はオンバト落ちるかもしれないが、それでも構わない」などと話していた。また、「ファイナルに行ったら1位を狙わず、何それ?っていうようなバカコントをやりたい」「今までと違う、スベッてたけど印象に残った、っていうのをやりたい。それが実はオンバト1回目に受かったときからの目標だった」と明かしており、また後に発売された爆笑オンエアバトル公式本7のインタビューで佐藤は「その時は目立ってやろうと考えてた」とコメントしている。 この年の彼らは上記の「車掌ネタ」の他にも通常回で度々挑戦的なネタを演じてきており、6月19日に放送された岡山県収録では番組内で初めてコントを披露しオンエアを獲得した。ちなみに結果は469KBで、彼らにとって400KB台では初のオンエアであった。また、11月27日に放送された北海道北見市収録では最初に漫才へ入ってから途中でショートコントに切り替わるというかなり異色のネタ(オチも滅茶苦茶だった)を披露するも、こちらもオンエアを獲得していた。このネタも上記の「車掌ネタ」程ではないが、各方面から非難を浴びたという。10月2日の放送で漫才「お化け屋敷」を披露していた時に、黒瀬自身が「もうすっかり夏じゃないですか…」と発言して季節外れも甚だしい内容になってしまうという珍事が起きた。 2005年度 ネタの方向性の変化もあり(初期の勢いある漫才から、現在の正統派漫才への過渡期だった)、オフエアこそならなかったものの獲得KBは大きく減った。佐藤の格好から「ピンクはげ時代」とも呼ばれている。この年はM-1グランプリの予選も3回戦進出に終わっている。愛・地球博で行われた収録では389KBでのオンエアと自身最低KBでのオンエア記録を作ってしまい、この年度はオーバー500も1回しか取れず年間ランキングもギリギリの20位であった。本当は井上マーと同率20位であったが、年間最高KBが唯一のオーバー500だったおかげで出場できた(年間最高KBの差のせいで出場できなかった井上マーは2008年度に3年越しの出場を果たしている)。チャンピオン大会セミファイナルでは6位敗退。 2006年度 2006年3月の第8回チャンピオン大会終了後は1年以上出場がなかった。この空白の時期においては詳細は不明であるが、雑誌インタビューのなかで「2006-2007年は本当にヤバかった」「(なかなか売れない苛立ちから)廃業や移籍も考えた」と語っている(月刊エンターテイメント3月号より)。 2007年度 その後、2007年6月に復帰しオーバー500を獲得。その後も高得点で3連勝を飾ったがチャンピオン大会出場ラインである4勝目を賭けた戦いで、未勝利のアルコ&ピースに抜かれてしまいオフエア。連勝が11で止まったばかりか、4勝目を獲得できずチャンピオン大会出場を逃がした。パンクブーブーがオフエアとなったのは2004年1月23日以来、約4年ぶりとなる。 2008年度 それでも翌年度にリベンジを果たすと高得点を続け、2008年11月13日の放送でオーバー500獲得回数が10回となり、アンジャッシュを上回り番組歴代単独1位となった。番組終了時点で唯一のオーバー500回数2桁を獲得した芸人である(2位はタイムマシーン3号の9回)。 この年もチャンピオン大会に進出。セミファイナルを1000KBオーバー(1018KB獲得)で通過しファイナルに進出するが結果は4位だった。ただ、この時に披露した「電気店へのクレーム」「陶芸家に弟子入り」は、約1年後に臨むことになるM-1グランプリ2009で披露した2ネタのベースになったものである。故にM-1優勝へと繋ぐ敗戦だったという見方もある。 2009年度 番組のシステムが変わったこの年度は7月の長野県東御市で収録された第4戦に出場。517KBという高得点を獲得するもしんのすけとシャンに敗れ、チャンピオン大会出場は叶わなかった。しかし視聴者投票で1位に選ばれ、視聴者投票1位バトルに進出。M-1グランプリのファーストステージと同じ「近隣住民のクレーム」を披露したが結局4位敗退。この年に3連覇を果たしたトータルテンボスは番組ホームページのインタビューで「本当はパンクブーブーと戦って倒したかった」と語っている。 その直後に刊行された爆笑オンエアバトル公式本12内で、番組からの卒業を発表。約7年に及ぶ番組での活動に幕を閉じた。この7年間という活動期間は強豪挑戦者としては屈指の長さで(当番組は売れれば卒業できるシステムであるため)、実力は高かったが番組外ではなかなか評価されてこなかったという証でもある。
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