「強制連行」の項目が存在する例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 10:13 UTC 版)
「強制連行」の記事における「「強制連行」の項目が存在する例」の解説
百科事典では平凡社世界大百科事典、同MYPEDIA(前身は平凡社の『小百科事典』)、丸善エンサイクロペディアは独立項目として「強制連行」を記述する。うち平凡社世界大百科事典は田中宏により執筆されている。 平凡社の世界大百科事典第2版では「1937年に日中全面戦争に突入して以降,労働力や軍要員の不足を補うために,日本は国策として朝鮮人,中国人を日本内地,樺太,南方の各地に投入したが,駆り集め方が強制的であったためこう呼ばれる。」とし、「38年4月には国家総動員法が,翌年7月には国民徴用令が公布され,日本の内外地における労務動員計画がたてられた(徴用)。39年の動員計画数110万のうち8万5000は朝鮮人に 割り当てられ,各事業主にその狩出しを認可し,42年からは国家自身の手になる 〈官斡旋〉に移行した。」ことが紹介されている。 丸善エンサイクロペディアでは「(中国人1943-45、朝鮮人1939-45)第二次大戦中、中国人、朝鮮人を強制的に軍需動員したもの。総力戦体制の一環として、中国人労働者、朝鮮人労働者内地移入に関する件が各々閣議、朝鮮総督府により決定された(後略)」と記述する。 同じく平凡社の日本史大事典はやはり執筆が田中宏。内容もほとんど同じ。 角川書店の『角川新版日本史辞典』には「アジア太平洋戦争」時に日本政府が朝鮮人や中国人に強制した労務動員を指して、一般に使われる。戦時統制経済下で、政府は1939年(昭和14年)に労務動員実施計画綱領を作成し、不足する労働力を「移入朝鮮人」で補おうとする方針を立てた。(以下略)」と書かれている。また「連行先は日本国内だけでなく、樺太、東南アジア、太平洋諸国と広範囲におよび、炭坑・土木工事など、危険な重労働につかされたため死傷・逃亡が多かった。朝鮮人の動員数は72万人とも150万人ともいわれ、中国人は約4万人と見られている。」と書かれている。 小学館の『日本歴史大事典』も田中宏が執筆しており、要点は『世界大百科事典』と同じ。中国人に対しては、「華人労務者内地移入ノ促進二関スル件」により移入が本格化したとし、中国人の「補償請求訴訟」についても、詳しく解説している。参考文献は、朴慶植『朝鮮人強制連行の記録』、田中宏・松沢哲成編『中国人強制連行資料』、山田昭次・田中宏編『隣国からの告発—強制連行の企業責任二』。 岩波書店の『日本史辞典』では、「強制連行」を戦時中の日本の政策としている。慰安婦にされた者も少なくないとも。対象者に中国人・朝鮮人の他にミクロネシア人が挙げられている。「朝鮮人強制連行」の項目では、募集・官斡旋・徴用の流れで説明。執筆者は不明。編集委員には、強制連行に関する著書もある西成田豊の名前がある(表紙)。「中国人強制連行」に関しては、項目はあるが解説はない。
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