「ケッセル」の司令官とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 「ケッセル」の司令官の意味・解説 

「ケッセル」の司令官

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/02 22:59 UTC 版)

アルトゥール・シュミット」の記事における「「ケッセル」の司令官」の解説

ソビエト赤軍捕虜となったドイツ将校をどう扱うのか聞かされパウルスは、戦況悪化に伴い心身共に衰弱し次第シュミット軍司令官職務権限兼ねるようになってゆく。ビーバー次のように記している。 包囲戦最中パウルス司令部呼ばれる牢獄囚われ参謀長呼ばれる看守監視されているのだと思い込んでいた。他の将校による「シュミットパウルス同等権限で軍を指揮していた」という証言得ていたこともあり、ニコライ・ダヤトリャンコ(英語版)(投降した第6軍将兵への尋問行った赤軍通訳)は、シュミットこそが第6軍における「ナチ党の目と手」であった確信した。 — 別の歴史家サミュエル・ミッチャムも同じ見解示している。 スターリングラード戦況悪化に伴いパウルス自信喪失し、彼と第6軍参謀長判断にすっかり依存してしまったのだ。こうしてアルトゥール・シュミットは、ドイツ為の戦い事実上指揮する立場となったのであるシュミット卓越した戦術スキル大胆不敵な性質備えた将校ではなく、むしろ頑固な楽観主義者で執念深く疑問もなく上官に従う愚直な将校であったパウルスシュミットこうした性格は、包囲下に置かれスターリングラード守備隊にとって致命的だった。 — パウルスソビエト側と交渉しない決定していた。例え1943年1月8日9日には、パウルス副官ヴィルヘルム・アダム大佐軍使としてソ連側軍使ダヤトリャンコ大尉の下へ送られている。パウルスはこの命令発したことを否定しており、シュミット命令下したものと考えられている。ハンス=ヴァレンティーン・フーベ将軍ヒトラーからの連絡携えスターリングラードにおける枢軸軍主力集結したケッセルKessel, ドイツ語でやかん。転じて包囲下で孤立した拠点の意)を訪問したとき、第6軍司令部ではシュミット立場がすっかり強化されていた。 この頃になると、既にシュミットパウルス上の権限有していた。これはシュミット根っからナチ党であったこと、またパウルス第6軍惨状自分責任自覚しており、総統なだめるためにはシュミット最適考えていたからである。ポイス及びランガーらは次のように記している。 シュミット参謀長スターリングラードにおける最後狂信的ナチ党であったパウルスにとってはヒトラー権化であり、また彼こそがスターリングラードにおけるヒトラーであった。彼は上官分身として、イデオロギーの元で戦った。[...]12月中旬以降全ての幻想消え失せ包囲下の第6軍将兵飢え続け中でもシュミット訪問者に対して馬鹿げた作戦語っていて、パウルス一切異論を挟まなかった。 — 1943年1月6日ヒトラーシュミット騎士十字章与えた同日パウルスクルト・ツァイツラー将軍次のような通信行った。 軍は飢餓極寒晒され銃弾皆無で、戦車はもう動かせない。 1月17日シュミット中将に昇進1月19日、グマーラク飛行場状況視察するべく第8航空軍団からティール(Thiel)少佐派遣された。彼が既に十分な補給遂行しうる状況にないと判断した旨をパウルスシュミット報告したところ、パウルス空軍第6軍への物資空輸請け負っていた事を理由にこれを非難した。 君は想像できるか?兵士軍馬死体食べていることを。その頭を切り分け、生の脳みそ貪り食っていることを。 — また、シュミットもその非難続いた。 [...]どうにも君の言葉空軍やり方正当化しているように聞えるが、空軍ドイツ歴史史上最大の裏切りを犯したのだぞ。[...]我が軍は、我が偉大な第6軍は、そうやってのような様で振舞ねばならないのだ。 — その後シュミットパウルスは、赤の広場程近いウニヴェルマーク百貨店前に司令部移動した1月30日夜、第6軍司令部は「我が兵士は、最後に国歌聞いて祖国ドイツ敬礼した」と発信したが、ビーバーによれば、この通信パウルスではなくシュミットが行った可能性が高いという。1月31日第6軍司令部守備隊投降する。シュミットは第64軍司令官ミハイル・ステファノヴィチ・シュミロフ(Mikhail Stepanovich Shumilov)将軍派遣した軍使降伏条件について話し合いその間パウルス隣の部屋待たされていたという。これがパウルス降伏という不名誉から少しでも遠ざかろうとした結果なのか、あるいはパウルス神経衰弱していたためなのかは議論分かれている 。 シュミットパウルスアダム大佐と共にザヴァルキノ(Zavarykino)のドン正面軍司令部連行され尋問受けたソ連軍将校自殺用の刃物などを所持していないかパウルスの手荷物検査しようとした時、シュミットは「ドイツ元帥ハサミ自殺などするものか」と鋭く言い放ったという。尋問先立ちパウルスシュミットどうするべきかと相談すると、シュミットは「君は自分ドイツ元帥だと思い出すべきだ」と応じたソビエト側の尋問記録によれば、彼らは親し間柄使われる呼びかけの "du" で呼び合っていたという。ただし、第6軍司令部将校だったヴィンリッヒ・ベーア(Winrich Behr)大尉は、彼らの関係を考えると考え難いことだと語っている。

※この「「ケッセル」の司令官」の解説は、「アルトゥール・シュミット」の解説の一部です。
「「ケッセル」の司令官」を含む「アルトゥール・シュミット」の記事については、「アルトゥール・シュミット」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「「ケッセル」の司令官」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「「ケッセル」の司令官」の関連用語

「ケッセル」の司令官のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



「ケッセル」の司令官のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのアルトゥール・シュミット (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS