「グーンズ」の結成
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「ディック・ウィルソン (オグララ族)」の記事における「「グーンズ」の結成」の解説
1972年12月26日、ウィルソンはAIMの動向に警戒を強め、パインリッジの家族に会いに来たAIMのデニス・バンクスとラッセル・ミーンズの二人を違法逮捕し、保留地からの即日退去を命じたが、二人はこれを拒絶した。 二人の逮捕に怒ったパインリッジの部族民は「インディアン管理局」(BIA)にウィルソン罷免の要求を行ったが、BIAは取り合わず、むしろウィルソンの強権を後押しし、「権限強化予算」として「部族警備隊」設立のため6万3千ドルを提供した。これに加えてさらに高速道路補修予算を使って、ウィルソンは私設暴力団を高性能ライフルで武装強化させ、暴力組織「オグララ国守護隊」(GOON)を組織した。伝統派のスー族はこの「オグララ国守護隊」を、「グーンズ」(GOONs、ごろつき、愚か者)と呼んだ。 オグララ族の伝統派の長老や酋長たちは合議を開き、テロ被害を覚悟の上で、ウィルソンの辞任要求を正式に発表した。だがウィルソンは議長権限で弾劾公聴会の延期を繰り返し、これに応じなかった。 1973年1月、200人からなるAIMは、「全米で最も人種差別的な州サウスダコタで、最も人種差別的な町」と呼ぶラピッドシティーに集結し、各保留地のスー族とともに連日インディアンに対する差別と暴力に対する抗議デモを行い、ラピッドシティーのインディアンにボイコット抗議を呼びかけて、町の凍結宣言を出した。この一触即発の気配のなか、1月20日、スー族のウィズリー・ハートブルという20歳の青年が酒場で白人に刺殺された。この事件はカスター市で裁判にかけられたが、市はインディアンたちを逮捕し、強制退去させようとしたため乱闘となり、商工会議所が焼け落ちる事件となった。AIMは続いてパインリッジへとキャラバン隊を進めた。ウィルソンはAIMを「ゴロツキ、共産主義者、過激派の集団」と呼んでBIAと連携を取った。 ウィルソンに選任されたデビッド・ロング部族会議副議長は、ウィルソンへの批判を高め、ラッセル・ミーンズを保留地に招いた。これに対しウィルソンはミーンズの立ち入りを禁じ、次のような公示を行った。 「報奨金! ラッセル・ミーンズの三つ編み1本50ドル、2本で300ドル、全身の漬物なら1000ドル」 「ウィルソンは暴力で人々の口を封じ、議会に圧力をかけた。彼は権力が欲しいのだ。私の家の窓には弾痕がいくつもあるし、馬は8頭も撃ち殺された。」
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「グーンズ」の結成
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部族会議だけでなくパインリッジのオグララ族にウィルソン罷免の要求運動が高まり始めたのを見て、ウィルソンは私設の暴力団を組織し、ウィルソンに反対する部族民の家に放火させ、銃弾を浴びせて脅迫し、殺し始めた。そのやりかたは、トラックに数人のメンバーが乗り込み、通りざまに家々に銃弾を撃ち込む、爆弾を放り込む、家畜を射殺するというものだった。部族民はBIAに抗議を行ったが、BIAも連邦政府も全くこれを黙認し、インディアンたちがいくら殺されようと一切の捜査を行わなかった。 1972年11月、AIMは「BIA本部ビル占拠抗議」でBIAと各保留地の部族会議との癒着と予算の不正流用を示す大量の内部資料を押収した。ウィルソンはAIMの動向に警戒を強め、議会でこれを批判し、AIMを「ゴロツキ、共産主義者、過激派の集団」と呼んでBIAと連携を取った。パインリッジの家族に会いに来たAIMのデニス・バンクスとラッセル・ミーンズの二人を違法逮捕し、保留地からの即日退去を命じたが、二人はこれを拒絶した。 二人の逮捕に怒ったパインリッジの部族民は「インディアン管理局」(BIA)にウィルソン罷免の要求を行ったが、BIAは取り合わず、むしろウィルソンの強権を後押しし、「権限強化予算」として「部族警備隊」設立のため6万3千ドルを提供した。これに加えてさらに高速道路補修予算を使って、ウィルソンは私設暴力団を高性能ライフルで武装強化させ、暴力組織「オグララ国守護隊」(Guardians of the Oglala Nation)を組織した。伝統派のスー族はこの「オグララ国守護隊」を、「GOONs」(グーンズ)と呼び、対するオグララ族は対ウィルソン弾劾組織「オグララ・スー権利組織」(Oglala Sioux Civil Rights Organization=OSCRO)を結成。パインリッジ保留地は市民戦争、内戦状態に突入した。 武装強化されたグーンズはさらにパインリッジの伝統派の家々を襲い、銃弾の雨を降らせ、テロ弾圧を始めた。目を撃ち抜かれた小さな少女もいたが、部族警察もBIAもなんの捜査も行わなかった。実質的にグーンズのテロ行為は合衆国のお墨付きであり、何の制限もなかった。
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