「グローバリティのカエスラ」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 17:31 UTC 版)
「近代における世界の一体化」の記事における「「グローバリティのカエスラ」」の解説
山下範久は、1800年前後の数十年には「グローバリティのカエスラ(区切れ)」 という一種の「真空」 が生じたとして、従来の「近代化論」的な世界システム論における「日本例外論」(日本は特殊である、日本は教育制度が充実していた、利潤獲得を正当なものとみなす石門心学なる道徳哲学があったなど)を、乗り越えようとしている。 そこでは、世界における「長期の16世紀」(15世紀末葉から17世紀中葉すぎまで)は、5つの近世帝国(理念的帝国)が並行して形成されてきた時期であり、その近世帝国とは、 「環大西洋帝国」(=「ヨーロッパ帝国」。南北アメリカをふくむ) 「北ユーラシアの帝国」 「西アジアの帝国」 「南アジアの帝国」 「東アジアの帝国」 の5つであるとしている。なお、ここにおける「帝国」とは領土的実体ではなく、東アジアにおける冊封体制に示されるような、その行動の前提となる世界認識ないし空間的想像力の次元で形成された理念的な秩序を指している。 山下は、「長期の16世紀」の前半は大航海時代や日本人の東南アジアへの進出にみられるように、リスクに対して積極的に交通の拡大を行ってきたのに対し、後半は安定的な成長の時代であると評価して、海禁や鎖国などの政策、あるいは江戸幕府が琉球や蝦夷地などの緩衝地帯をわざわざ設定した施策に典型的にみられるように、世界の諸例をみても、交通路の制度化と管理がなされた時期であるとする。 しかし、1800年前後、すなわち上述した環大西洋革命に前後して「グローバリティのカエスラ(区切れ)」が数十年にわたって世界的に継起し、5つの近世帝国は相次いで解体し、国民国家が出現して領土的な拡張主義の様式も転換し、資本主義のあり方やルールが変わったとしている。すなわち、どの地域も例外なく、近世的な世界システムから近代的な世界システムへ移行していったととらえる。ここでは、近世帝国のうちヨーロッパのみは連続性があるという予断は排されている。 このようなとらえ方は、「近代化論」的な世界システム論のみならず、「従属論」的な世界システム論における日本に関する盲点、すなわち、欧米諸国によって無理やり開国させられ、不平等条約をおしつけられて本来なら「低開発」を余儀なくされたはずの日本がいちはやく近代化を果たした事実に対しても、「日本例外論」によらずに説明しようとする試みだった。
※この「「グローバリティのカエスラ」」の解説は、「近代における世界の一体化」の解説の一部です。
「「グローバリティのカエスラ」」を含む「近代における世界の一体化」の記事については、「近代における世界の一体化」の概要を参照ください。
- 「グローバリティのカエスラ」のページへのリンク